25年前の私の決断
今、私はイギリスに住んでいる。
それはイギリス人の夫と出逢ったから。
学生時代の私はアメリカが1番大好きな国だった。
初めての海外もアメリカ短期留学。
19歳の私のアメリカでの初体験は、40年経った今でも色あせる事はない。
ディズニーランド、MGMスタジオなどの観光をした後、カレッジで英会話を学び週末はホームステイ。
見るもの、聞くもの、すべてが本当に新鮮だった。
その後毎年のようにホームステイ先のアメリカの家族の元へ遊びにいくほどのアメリカ好き。
だが、社会人になり世界への目が少し広がった。
当時の私はアジアの国々に関心がなかった。
しかし社会人になってから訪れた香港、シンガポールの旅で、私の考えは一変した。
英語と言う会話のツールがお互い第二か国語。アジアの人とは、言葉少なくとも意思疎通が楽だと感じたのだ。
人懐っこいアジアの人たちと触れ、私はいつの間にかアジアが大好きになっていた。
航空会社の乗務員としてフィリピンを中心にシンガポールやマレーシアへフライトをしていたのだが、エキゾチックな東南アジアを訪れることが本当に楽しかった。
夫と出逢ったのはフィリピンのマニラ。
マニラ在住だった友人が、駐在のシングル男性を集めた食事会で知り合ったのだ。
第一印象は自分のタイプでは無いが面白い人。と言うくらい。
しかしこの時に集まったメンバーと毎週の様に食事会を重ねて行くうちに、なんだか彼とのお付き合いが始まっていった。
1年ほど経った頃、彼がシンガポールへの移動する事になった。
その当時、私は仕事の将来に悩んでいた。
仕事は大好きだった。ただ当時の会社の規定は40歳で乗務は引退。
地上職になるか離職するかの選択だった。
乗務を40歳で引退する前に別のキャリアを探した方が良いのではないか・・と少し考え始めたいた頃だ。
そこへ彼のシンガポール移動の話。
当時のシンガポールは、今のような高級感溢れる国ではなく、もっとのどかで親しみを感じる国だった。
魅惑の国、シンガポールに住んで働く自分を勝手に想像し、なんだかひとりでワクワクした。
これはチャンス?
そんな勝手な思いから、シンガポールで同居させてもらえないか。と話してみた。
彼は一緒に行きたいと言った事にとても驚いた。
どうやら私が結婚目的で付いて来たいと思ったらしい。
彼の言葉に驚いたが、私が年上なのでそう考えても当然だったのかもしれない。
私は結婚したいから一緒に行きたいのではない。
シンガポールで新しい事にチャレンジしてみたい。
ローカル採用は賃金が安い。駐在員のアナタの家に住まわせてくれればその夢が叶うからだと説明した。
「結婚」が目的なのではないと聞くと、彼は安心したのか同居は構わないと言ってくれた。
若かりし頃の私は、即行動する人間だった。
即行動力のパワーで、短期間の内にシンガポールでの仕事を得た。
一方、大好きだった仕事を辞めてまでシンガポールへ行く私に、同僚は皆驚いた。私が定年まで勤めると思っていたからだ。
本当に驚いていたが、当時の私に迷いはなかった。
そして、シンガポールにに移住し彼との生活が始まった。
***
仕事は日本人とローカルのコミュニケーションをとる為の通訳。また簡単な翻訳だった。 今までの華やかな職場とは異なり、コンピューターのシリコンチップを作るオフィスと工場がひとつになった会社だ。メイクはクリーンルームに入る為禁止!
メイクが必須の仕事からノーメイク必須である。
ノーメイク出勤は人前に裸で出ているような感じがして、本当に抵抗感があった。
そして通訳、翻訳と言う仕事はとても神経を使った。
転職した事を早くも後悔する羽目になったが、1年は頑張ろうと思っていた。
一方彼との生活はと言うと、もう1人の同居人や現地の同僚、友人達とほぼ毎週末のように飲み会やパーティの日々。
深夜まで続く大騒ぎがほぼ恒例。
彼は一緒にいて楽しく、私も巣を出すことが出きた。 だが、彼の言動でどうしても私には納得できない事がある事も同居でわかってきた。
知らない人達との大騒ぎがあまり好きではない私は、合わせる事に次第に疲れていった。
会社選びも色々調べてから決めるべきだったと後悔していた。
なんでシンガポールに来たのだろう。
石橋を叩かずに渡ってしまった自分に、後悔の念が出て来た。
楽しい事もいっぱいあるが、何だか違う気がする。
1年の契約が終わったら日本へ帰ろう。
ある日そう思った。
だがその数日後、驚く事が起きた。
彼にポロポーズをされたのだ。
日本へ帰ろうと決意した直後なだけに、とても複雑な気持ちだった。
なぜあのタイミングで彼は私にプロポーズをしたのだろう。彼は一生結婚しないと言っていたではないか。
冷静な自分が彼の前にいた。
プロポーズの夜、日本と彼の間で私の心は大きく揺れた。
それでも彼と人生を歩むことに決めた自分がいた。
イギリスには移住したくない。ずっとアジアに居続ける事を約束してとお願いしながら。
***
だが今、私はこうしてアジアの国ではなく、イギリスに住んでいる。
結婚後、山あり谷ありの人生で、シンガポール、日本、イギリスを何度か移住もした。
ポジティブに言うならカラフルな人生になった。
あの夜の私の選択を悔やんだ日は数えきれない。
しかしここ最近、私の気持ちに変化が起こっている。
色々と想像を絶する経験をしたが、『乗り越えた時に見えるものが違って見える』と言う事がようやく分かるようになってきた。
25年前の私の決断は今、精神的に強くなった私を確実に作り上げた。
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