
民主主義が国家の衰退を加速させているのでは、という話
2024年10月27日の衆院選は、自民党が大敗する混乱を極めた状況に陥った。立憲民主党が躍進するのも多くの若い世代はなぜ彼らが躍進してしまうのか理解ができない。キーワードは「高齢者」である。
シルバー民主主義がもたらす弊害を、今日は考えてみよう。
民主主義は当然か
民主主義は、現在の日本人にとっては当然であり、独裁というのはいけない、全員に平等に投票権があるのは正しいことである、と皆が思っている。
しかしそれに疑問を持ち始めた人も出てきている。
逆に、民主主義が国家の衰退を加速させているのではないかと考えている人も出てきている。
今回の衆院選では、勢力維持に焦った公明党が10万円を低所得者世帯に配ります!と発表し、自民党の森山幹事長もそれに同意する意見を出した。
1500万世帯と言われる住民税非課税世帯(=つまり高齢者たち)に10万円配ると1兆5000億円かかるわけだが、不思議なことに少子化対策の予算となると1兆5000億円ポンと出てくることはない。
選挙戦でも少子化対策では具体策が出てくることはなく表面的な「子供を増やせるようがんばります」程度しか出てこない。
長い歴史を持つ日本国において一応は「勝ち取ってきた」とされる普通選挙。
すなわち成人であれば年齢や納税額、性別にかかわらず誰でも選挙権を持つという普通選挙は、日本においても、そして世界の国々でも、人口が増えていくフェーズに作られた。
「普通選挙は民主主義のあるべき姿」だとして疑われることなく広がってきた。
しかし果たして少子高齢化社会の中でも有効であるのだろうか。
普通選挙と制限選挙とは

中学校の社会(公民)の授業で学んだと思うが復習しよう。
普通選挙
一定の年齢に達した国民全員に選挙権が認められる。
日本では、満18歳以上の国民であれば、性別、人種、財産、学歴などに関係なく、誰でも投票できる。たとえ言語すら理解できない知的障害があろうが、90歳100歳のボケ老人だろうが関係はない。
現在の日本では、衆議院議員選挙、参議院議員選挙、地方選挙など、ほぼすべて選挙で普通選挙が採用されている。
制限選挙
選挙権が一部の人々に制限されているもの。
過去には、性別、財産、納税額、学歴などによって、投票できる人が制限されていた。
(例:明治時代には、一定以上の納税額がある男性にしか選挙権がなかった)
女性に選挙権が認められたのは、第二次世界大戦後1945年のことである。
私達の感覚では、何事も平等であるべきと小さい頃から教えられているので何も違和感はなく、むしろ普通選挙は制限選挙よりも絶対に良いこと、と信じているわけであるが、そもそも制限選挙から普通選挙に移行をしたのは、国家としてどんなメリットがあったのだろうか。
普通選挙への移行のメリット
制限選挙から普通選挙に移行していったのには、国家として目的があったはずで、意味もなくやるはずはなかった。
「みんなに権利があったほうがいいね」というお花畑な考え方で国家の最高権力を決めるわけはない。国家の競争力を高める目的があって政治のルールを決める。
では、どんなメリットがあったのだろう。
普通選挙に移行していくメリットにはいくつかある。
政府の正当性の確立。すべての市民に平等な投票権を与えることで、国民全員によって選ばれている、という認識が国民にも広がる。
選ばれたリーダー、そして政治システムの正統性が高まる。
「俺は国家を認めねえぞ」と言い張る反政府勢力がはびこるのを防ぐことが出来る。特に戦後の混乱期には非常に役に立っただろう。
政治的関心の向上:投票権を持つことで、政治への関心が高まり、政治参加への意欲も向上する。どうしたら世の中を良くしていけるか、政府はどんな政策を取るべきか、という考えが国民皆に高まり、アイデアが出てくる。
社会の安定化: 政治から排除されていた層の不満が軽減され、社会不安や暴動のリスクが減少する。
潜在能力の活用: 納税額の制限によって排除されていた有能な人材、特に若い人材が政治に参加できるようになり、機会の平等が国全体の利益につながる。
多様な意見の反映:多様な背景や価値観を持つ人々が政治に参加することで、政策が様々な視点を考慮したものになりやすくなる。
普通選挙への移行のデメリット
では、普通選挙に移行していったデメリットはなんだろう。
投票者の知識・知能レベル低下:納税額や学位などによる制限がなくなることにより、頭の悪い人でも投票が出来る。
ポピュリズムの台頭: 上記の影響を受け、短期的な利益や感情に訴えるポピュリズム的な政策が支持を集めやすくなり、長期的な視点での政策立案が難しくなる。(将来を無視した、一時的金配りなど)
情報操作の影響:フェイクニュースやプロパガンダにより、メディアリテラシーの教育を受けていない有権者が、誤った情報に基づいて判断するリスクが高まる。
政治の不安定化: 多様な意見が反映されることで、政策決定が難航したり、政権交代が頻繁に起こったりするなど、政治が不安定化する可能性がある。
無責任な投票: 政治への関心が低い人が、深く考えずに投票したり、特定の利益集団の影響を受けやすい投票行動をとったりする可能性がある。
(支持母体による左右が大きくなる。例えば業界団体、宗教法人など)
財政負担の増加: 多数の有権者が公共サービスの充実を求めることで、政府支出が増大し、納税者意識が低くなる。
税負担の不均衡:高所得者への増税要求が高まり、経済活動に影響を及ぼす
現在の日本はどうなっているか
日本国もまた、人口が増えていくフェーズ明治時代〜昭和の時代にかけて民主主義が導入され、そして制限選挙から普通選挙に移行してきた。
第二次世界大戦が終わり、戦争に負けた日本政府の権威は地に落ちた。
政府が戦争に負けたのだから、日本国では、警察の権力も、政府の力も大変弱くなった。GHQ、つまり米軍という圧倒的戦力がいたから日本人は言うことを聞いたものの、GHQがいなければ無法地帯となっていた可能性すらあった。
そんな中での普通選挙は、国民皆に選ばれた新しい政権として政府の正当性を担保し権威付けするためには大変役に立ったし、安定した政府の確立というのは、実際に戦後の発展に大いに貢献できたと思う。
第二次大戦後、人口は増え続けていたし、若い世代も大変多かった日本では、若い世代に政治的関心をもたらし、若い意見を取り入れることができたのは国家としてメリットが大きかった。
「一部の高齢な特権階級や資本家」による支配ではなく、民主主義的にこれからの日本国の将来を願う若者たちが主導し将来の日本を形作る政策を取れるというのは、普通選挙の大いなる価値であった。
当然、高齢者が少なかったから、働いていない人の意見や、将来を考える必要がない意見が採用される可能性も低く抑えられていた。
政治的に排除されていた層、つまり納税額も小さい若い世代が投票権を得ることで政治参加ができ、変えられない社会に対して不満を持ち粗暴な行為を行うのを防ぐインセンティブもあった。
(実際は安保闘争などで派手に騒いだが)
一度第二次世界大戦で破滅したから、グレートリセット、つまり社会のあらゆる場面で社会的階級がリセットされ、若くて優秀な人でも政権に登用され、活躍できる可能性があった。
これは江戸時代の封建社会から、明治維新で全国から優秀な若者を集めることに腐心した明治政府と同じ構造であった。
現在の日本を見てみよう。
かつて利益があると言われた普通選挙のメリットは、どうなっているのだろう。
現在の日本では、日本政府の正当性という観点では、戦争に負けた直後でもないし、江戸幕府から政権交代したばかりでもないから、一応国民は政府の決めたルールを守り、警察も警察として働けるし、正当性は揺らいでいるわけではない。
しかも選挙の投票率がわずか40%程度しかないのに政府の正当性を信任しているわけで、反政府勢力がはびこって内戦をしているわけではないから、本当にまだ日本国の正当性は揺らいでいないのだろう。
よって、全員に投票権を与えることにより政府の正当性を担保するという役割は、意味をなしていない。
政治的関心の向上も、低い投票率で分かる通り高まっていない。
普通選挙を実施したのは、一部の特権階級だけではなく、納税額にかかわらず「優秀な人材」を登用できるメリットを享受できるからでもあった。
しかし石破政権の自民党役員人事も世襲議員が半分を占め、総理自体も親子三代世襲である始末で、優秀な人材を登用するというメリットは、自民党世襲制度によって完全に崩壊している。よって、普通選挙をしているメリットを得られていないという状態に陥っている。
社会の安定化はこの日本という世界有数の治安の良い国では十分もたらされているのであると言えるのだが、最近頻発するオレオレ詐欺や、闇バイトによる老人宅を狙う強盗など、高齢者に敬意を払わない犯罪は増加した。
それでも日本は海外の大半の国より治安がよく、先進国ではまだトップクラスの治安の良さを誇る。
しかしシルバー民主主義によって若い世代が劣悪な環境で生きることを余儀なくされ、一方で老人たちは多額の資産を持ち悠々と過ごしていることから、若い世代による社会の不満、そしてルールを支配し富を独占し若い世代から収奪する高齢者への憎悪はこの10年20年で確実に増大した。
そして経済的に苦しい状況に追い込まれた若い人たちが犯罪に走り、闇バイトで老人を強盗殺人している。
もし高齢者による若者搾取が起きておらず、若い世代にも適切な支援が得られる社会であったなら、このような犯罪は起きていないかもしれない。
となると、闇バイトはシルバー民主主義による不利な普通選挙で追い込まれ、老人優遇政策によって生まれてしまった犯罪なのかもしれない。
普通選挙による民主主義は、社会を成長させて良くしていくための政治制度という道具に過ぎない。
社会が良くなっていくならば、他の制度があっても良い。
例えばお金を低所得者世帯に配るとか、高齢者向けの政策ばかり重きおいた日本は、子供を増やしたり、若い世代の教育を充実させて科学力を上げていくという政策は後回しとなったが、実際にこの30年の間に、日本の15−64歳の労働者人口は1500万人も減少し、科学力も大きく低下して、1人あたりGDPはだれだけ貧しかったお隣の韓国にすら抜かれた。
普通選挙で日本で起きていること
仕事をして電車に乗り、疲れて帰路に帰り家の最寄りの駅を降りると、駅前で政治活動をしていることがある。
政治活動をしている人たちはだいたいは高齢者であるが、活動している人たちをみると共産党は大半が高齢者、れいわは貧しそうな中高年、と大体決まっている。
不思議なことに彼らは、貧しいはずであるが暇であり、駅前で騒ぐ時間とエネルギーがある。
仕事で疲れ切った若者は、多額の納税と社会保険料を払わされ、その大半は高齢者に仕送りされていくのだが、政治的に圧倒的な人口母数を持つのは高齢者であり、彼らに勝つことが難しい。
駅前の老人たちをみると実に興味深いのは、最近の彼らの主張はだいたい下記の4つである。
「消費税廃止」
「戦争反対」
「原発反対」
「裏金議員反対」
当然であるが、彼らの主張には次世代の子どものことなど微塵も入っていない。
消費税廃止をやたら訴えるのは、高齢者たちが所得税や住民税などをほとんど払っていないために、消費税がほぼ唯一の税金であるからだ。
現役世代は所得税を払わされているが、高齢者たちは労働をしておらず年金をもらっているので、所得税を払っていないか、払っているとしてもごくわずかである。
これでは高齢者から税金は取れないが、その割に高齢者は社会福祉サービスをよく使うわけで、そこで日本国が導入したのが消費税となる。
消費税は支払いをするたびに税を取るという仕組みであるから、たとえ稼ぎが少なくても何かを買うときには税を払うわけであるし、生きていくためには食べ物とか着るものを買わないといけないわけで、消費税は高齢者にも負担を求めることが出来る平等で画期的な制度であった。
高齢者らは駅前で「所得税を減らせ」などと言うことはほとんどない。
大体は「消費税を減らせ」である。
それは自分たちのことしか考えてない証左である。
「戦争反対」であるが、これは大変奥が深い。
かつて大日本帝国が列強と肩を並べつつ、欧米勢力にアジアが植民地化されると危機感を持っていた時代。
日本は清、ロシア、そして中国、米国やその他アジアの国々に攻め込んだわけで、確かに19世紀末〜20世紀中盤までの日本は戦争大好きな戦闘民族であった。右翼の人たちがなんと言おうと、実際に反省すべきことは非常に多かろう。
しかし2024年の現在、日本国には戦争を望んでいる人はいないし、自民党政権ですら誰かと戦争をしたいと思っている人はいない。
現実問題として、中国と戦争すれば米国が本気を出さない限り負けるし、ロシアと戦っても同様である。
北朝鮮に攻めてもその先の中国とロシアと戦うことになるわけで相手にしたくない。
お隣韓国も心のなかでは嫌いだが戦争するほど嫌いでもないし、日韓関係も好調で、他はだいたいの近隣国は仲良しな国々ばかりである。
そう、攻め込む相手が日本の周りにはほとんどいない。
よって、「戦争反対」と主張している人たちに対して「日本国は誰に戦争をしかけるんですか」と聞いても具体的な回答は得られない。
軍備をするから攻め込まれるんだ、武装しなければ攻められないんだ、という謎な考え方は、無防備な高齢者の家に押し入る闇バイト強盗、そしてウクライナに攻め込んだロシアなどより、間違った考え方であることが証明された。
憲法9条という札を玄関に貼っていても、闇バイト強盗を防ぐことはできないのである。
彼らがなんのためにやっているかというと、
(続きは初月無料でメンバーシップで読めます)
頂いたサポートのお金は、取材や海外の文献の調査などに使わせていただきます。サポート頂けるのは大変うれしいので、これからも応援いただけるとうれしいです! ゆな先生より