佐藤弓生の「近・現代詩おぼえがき」第3回:”前”の世界
この秋、前橋文学館で中原中也の「芸術論覚え書」草稿一枚目の筆跡をぼうっと見ていた。
冒頭に「一、『これが手だ』と、『手』といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が五感に深く感じられてゐればよい」とあり、「五感に」をうすく塗りつぶして消している。
評論だが、詩のような文面である。詩人が書いたのだから不思議ではないが。「名辞」は哲学用語で、言語化された概念のことだそうだが深入りできない。それより、「口にする前に」という語に注目する。
この「前」は、時間が古いということだけではなさそうだ。短歌をつくろうとして、言葉にしたとたんに何かを取りこぼした気持ちになることは、だれにでもあるだろう。言葉になる前の世界に広がっていたはずの、ゆたかな土地を失ったかのような。
言葉によって言葉以前の世界を表現しようというパラドックスは、詩歌の宿命である。
おほきなるめまひのなかのちひさなるめまひかなこのあさがほのはな
渡辺松男
あたたかき毛糸のような雪ふればこの世に不幸などひとつもない
杉﨑恒夫
「めまひ」と「あさがほのはな」の間には漏斗の形状を通じた始原的なコレスポンダンスが、「ひとつもない」という反語には言外ににじむ悲しみがある。言葉が、言葉になる前の世界を狭めたり遮ったりすることのない、ゆたかな通路がひらかれていると感じる。
初出:「角川短歌年鑑 平成28年版」(テーマエッセイ 詩情を感じる瞬間)
『新編 中原中也全集 4』
http://www.kadokawa.co.jp/product/200000000268/
渡辺松男『きなげつの魚』
http://www.kadokawa.co.jp/product/321406000123/
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』
http://rikkasyorin.com/syuppan2009-10.html