なぜ、デンマークの官僚は「午後3時退庁」ができるのか?【第5章 インタビュー調査の結果と考察】
北欧研究所の植村です。私は、2023年9月から2024年6月まで、北欧研究所のインターンシップ生として、個人研究に携わりました。テーマは「日本とデンマークの官僚社会における労働環境の違いとその要因」です。
研究論文を章ごとに分けて、Noteにて公開いたします。他章の記事に関しましては、本記事の最後に記載されているリンクより、ご覧いただくことができます。(順次公開いたしますので、しばらくお待ちください。)
最後まで、ご一読いただけると幸いです。
なお、ヘッダー写真につきましては、筆者がデンマーク留学中に撮影した写真を使用していますので、本テーマとは直接関係のない場合もございます。
また、参考文献については別記事にて列挙いたします。
(文責:植村雄太)
第5章 インタビュー調査の結果と考察
まず、「両国の官僚社会で労働環境が異なるのは、日本では強い政治主導、つまり政府が大きな支配力を持っており、官僚は政府に合わせて働く必要があるのに対し、デンマークでは省庁が自律性を持ち、政府の方針に合わせて政策を立案する必要がないから」という仮説に関しては、インタビュー調査から有意な結果が得られた。
デンマークでは、現在、政治主導に切り替わりつつあるものの、省庁の自律性は一定程度保障されている。この違いは、日本では自民党の一党優位であるのに対し、現在のデンマーク政権が連立政権であることが大きいと考えられる。現デンマーク政権の閣僚は複数の政党から選ばれているため、政府は一元的な政策の決定・実施ができず、それゆえに政府は省庁に対して大きな支配力を持つことができていない。したがって、省庁は政府の方針に合わせて短期で政策を立案することを求められておらず、自律した労働が可能なため、深夜まで政策を立案するといった機会が少ないと考えることができる。
次に、「両国の官僚社会で労働環境が異なるのは、霞が関ではデジタル化が遅れているのに対し、デンマークではデジタル化が早期から取り入れられ、進展しているから」という仮説に対しては、本研究では有意な結果が得られなかった。「デジタル先進国」として名を馳せているデンマークにおいて、意外にも省庁のデジタル化は進展していなかった。筆者が第2章第1節で取り上げた日本官僚のインタビュー調査の中では、「Microsoft Teamsが省内の業務で使われている」(経済産業省・人事院)という意見もあったことを踏まえると、むしろ、ここ数年では霞が関の方がICTツールの活用は進んでいると考えられる。
しかし、ICTツールの導入といったハード面では両国に大きな差は無かったが、デジタルを受け入れるにあたっての組織文化などのソフト面が、特にコロナ禍以前の両官僚社会におけるデジタル化の浸透具合の差に影響を与えていたと考えられる。霞が関では一般社会と比べても年功序列の色が強く、官僚は上司あるいは政治家のやり方に合わせる必要がある。コロナウイルスが流行する前までは、「上の立場」に就く官僚や政治家のデジタルに対する意識が低かったため、ICTツールを職場に導入できなかったと推測される。しかし、コロナ禍以降は、インタビュー調査から分かるように、省庁全体でデジタル化を前進させていこうという動きが強いため、このソフト面が生み出していた「差」は、今後ますます縮まっていくと考えられる。
そして最後に、「公共部門の意思決定にAIを利用することの是非」についてだが、インタビュー調査の結果から、将来的にAIが意思決定を代替することは必至であることを鑑みると、デンマークではAIによる意思決定は認められるべきと考えられていることがわかった。しかし、イヴァセン氏が指摘する通り、AIが権力を持って政策決定を主体的に行ったり、100%代替したりすることがないよう、段階的にAIの意思決定を取り入れていくことになるだろう。その点で、グラッドサクセ市の事例では、初期段階からAIに権力を持たせすぎたことが最大の問題点だと考えられる。
この事例において開発に携わったエンジニアは、システムにおいて個人情報を利用できるのはAIのみであるとして、第三者の人間が閲覧・利用できない点で安全性を強調していたが、これは言い換えれば「人間の意思決定を介在することなく、AIが主体的に決定を下すことができる」ということを意味する。本事例では、記事の内容の分析をすると、どちらかと言えば、市民のデータを「政府が管理する」ことに対して批判が集まっていたと考えられる。万が一、実装されていた場合、「AIの意思決定に対して誰が責任を取るのか」、「AIの意思決定は、本当に虐待児童を見つけるための手段にとどまるのか(期待されている領域を超えた意思決定を行わないか)」といった新たな問題が生じていただろう。
一般的に、デンマークではデジタルに対する国民の信頼度が高いと言われている一方で、日本では行政のデジタルサービスに対して懐疑的な人も少なくない。実際に、デンマークでは15歳から89歳の国民のうち、約78%が行政のデジタルサービスを「信頼している」または「大いに信頼している」と回答し、「信頼していない」または「全く信頼していない」と回答したのはわずか6%であった(注23) 。
対照的に、日本のデジタル庁の調査(2023)では、対象となった18歳から79歳男女の計5600名のうち、全体の約88%が「デジタル行政サービスを知っている」と回答した中で、デジタル行政サービスを「信頼していない」と回答したのは全体の約31%を占め、「信頼している」と回答した割合(全体の約22%)を9%上回った。
このように、政府のデジタルサービスに対する日本国民の信頼度が低いことを踏まえると、霞が関の意思決定をAIによって代替されるのはデンマークよりも時間がかかると筆者は考える。そのため、日本政府は国内だけでなく外国にも目を向け、これから進んでいく外国の公共部門におけるAI使用例をもとに、慎重かつ段階的に進めていくことを提案したい。
脚注(第5章)
(注23)Agency for Digital Government. Trust in Digital Government. (最終閲覧日:2024-06-19)