オフィスの空気と健康、生産効率の親密な関係
文責:蒔田 智則
2019年6月13日
デンマーク発: ハピネステクノロジ vol.5
私たちは1日の大半を室内で過ごしている
現代社会において、人は1日の約90パーセントを何らかの「室内環境」で過ごしていると言われている。90パーセントである。つまり1日の大半は室内環境で過ごしていることだ。確かに私の普段の生活を考えてみると、純粋に外にいるのは通勤や子供の送り迎えの約1時間と昼ごはんを食べる際の約20分程度しかない。それ以外の時間はオフィスや自宅、駅、電車、スーパーなど何かしらの「室内環境」で生活している。
近年の研究では、この室内環境が健康や生産効率など、人体にどれだけ影響をもたらすのかに注目が集まってきている。今日は、この室内環境をめぐる幸せとテクノロジーについて少し書いてみたいと思う。
快適な室内環境って何だろう?
快適な室内環境というのを想像してみてほしい。これは人によっても若干異なるだろうが、暑くもなく寒くもない。ジメッとした不快さもなくて、乾燥しすぎているわけでもない。もちろん、うるさくもない。そんな状態を想像するのだろう。
快適な室内空間では、生産効率が高まり健康に良いという科学的実証が近年なされてきている。研究によると、快適な温熱環境に保たれた室内では、生産効率が約10パーセント程度向上すると言われている。また、風邪の飛散も減ることから病欠も減り、仕事全体の効率も向上が見込まれる。ある研究の報告によると、快適な室内環境のオフィスでは、約35%も病欠が減ったという事例もある。生産効率の向上から得られる達成感から働く人たちのモチベーションも高まる。企業への貢献度も高まり、結果として働く側も雇用する側も幸せになるという。長期持続可能なこの関係。快適な室内環境というのは、サステイナブルな企業作りにも貢献していると言っても大げさではない。
それでは、この室内環境っていうのは、どのようにして決まるのだろうか?オフィスなどの作業空間に影響を与える室内環境のエレメントには、太陽光と照明などの「光」、自然換気とエアコンなどの機械での換気などの「温度、湿度」、空気中の二酸化炭素の量などから計測される空気の「鮮度」、または外部からや機械などから漏れる「音」などがある。これらのエレメントを最適な状態にコントロールする事は、近年のオフィスのデザインでは、大事なことの一つだと考えられている。
デンマークの「ヒュッゲ」の学術的背景
この快適さを測る指針として室内環境を扱う専門家たちの間で一般的に使われているのがPMV(Predicted Mean Vote)とPPD(Predicted Percentage of Dissatsfied) という評価方法だ。あまり聞きなれない言葉だが、これは、空気の温度、壁や床から伝わる輻射熱、湿度、窓やエアコンから吹き出される風のスピード、身につけている服(夏服か冬服を来ているかなど)によって、快適さを数値化した評価方法である。
この評価方法を考えたのが、デンマーク工科大学のファンガー教授だ。ファンガー教授は60年代より多くの実験を通してこの評価方法を研究してきた。長い冬を暖かい室内で暖かく快適に過ごす「ヒュッゲ」を大事にするデンマークの文化には、こんな学術的な背景があるので面白い。
AIとIoTを組み合わせたスマートビルディングと快適性
少し話が逸れたが、近年は「スマートビルディング」という新たな造語が作られたように、AIとIoT技術を導入することによって建物管理を行うことが、オフィスなどの商業施設を中心に盛んになってきている。IoT機器によって集められた情報をAIが自分で学習することによって、空調システムを快適でかつ省エネルギーにコントロールできるようになってきた。そのお陰で、私たちは快適でかつ健康的にオフィスで作業を行えるようになってきている。
しかしAIとIoTを組み合わせたスマートビルディングが、本当に快適性に対する答えなのだろうか?
前述したとおり、快適な室内環境というのは人によってそれぞれ異なる。少し室温が涼しい方が快適に感じる人もいるし、その逆に暖かい方が快適に感じる人もいる。窓を開けて風を受ける事を好む人もいるし、その逆に風を不快に感じる人もいる。もちろんその日の気分や天気によっても好みの快適性は変わってくるだろう。
自分で行動を起こした満足感が幸せの秘訣
昨今の室内環境の研究によると、AIやIoT技術などによって、完全に自動化された室内環境を設計するのではなく、少しでも自分たちでコントロールできる、『隙間』を作っておく事が大事だと考えられている。簡単な例だと、自分で窓を開けたり、カーテンを下ろすことができる。エアコンの設定温度を自分で調整するなど、全てを自動化した室内環境に委ねてしまうのではなくて、少しでも自分で室内環境の一部コントロールできるようにする。使い手側がアクティブに自分の快適性に調整できる「隙間」によって、自分だけのちょっぴり満足感が高まる。その結果、ちょっぴり満足感によってより快適性が高まるというわけである。興味深いもので、自分で室温を調整するだけでも、その満足感により約3%快適性が向上するという研究の結果も報告されている。
BLOXの例
BLOXとは、2018年にオープンしたコペンハーゲンの新しいデザインのプラットホームとなる建物だ(図4参照:BLOX外観)。箱をいくつも積み重ねたような印象的なデザインはオランダの建築事務所OMAの設計によるものである。ここでは多くの建築やデザインに関するレクチャーやワークショップ、エキシビジョンなどが行われている。そしてその3階部分はフロア全体が開放的なコワーキングスペースとなっており(図3;開放的なコワーキングスペース)、都市型のイノベーティブなアイディアを持った企業が多く入っている。
この建物には最新の空調設備とIoT機器が導入されておりBMS(ビルディングマネジメントシステム)と連動することにより、一年中オフィス全体を非常に快適に過ごせるようになっている。それだけではない。この建物にも自分でコントロール出来る「隙間」がデザインされている。建物全体を取り囲むガラスのファサードの一部には、取手がついており、ほんの僅か10センチほどだが外の風を取り込めるようにデザインされている(図2参照:手動で隙間が作れる)。また、室内に取り付けられたアルミ製のルーバーは太陽からの直射日光によって、コンピューターのスクリーンが見えずらくなるグレア現象を防ぐため自動的に開閉されるように制御されているが、これも誰でも開閉が可能なように壁にボタンがついている(図1参照)。とてもわずかなことかも知れないが、これだけでも自分からアクティブに行動できる「隙間」が施されており、それが少しの満足感の上昇につながると思われる。
アナログな部分も残すデンマークの職人基質
技術の進歩によって私たちのオフィスは、快適性を自動的に手に入れることができるようになってきている。しかし、もう少しの幸せを向上させる為に大切なエレメント、達成感を向上させるには、使い手側が自分で行動を起こすことも可能な「隙間」のデザインも忘れてはいけない。人間の手が入る「隙間」がある。言葉を変えると、アナログな部分も残すということ。これは、昔から職人気質を重んじるデンマークの建築にもつながるところがあるのではないか?と考えるともっとデンマークの建築が好きになる。