南スーダン自衛隊派遣の低レベルな議論は終わりにしよう!
自衛隊が派遣されている南スーダン情勢について、国内世論で様々な議論が交わされている。自衛隊には平和安全法制の施行により、駆けつけ警護などの新たな任務が付与されており、世論の間でその議論が行われることは極めて重要で、歓迎すべきことである。
自衛隊は南スーダンにおいて民生支援を中心に、治安維持などの任務を行っているが、これまでは武装組織などが他国軍を攻撃した場合、自衛隊はその武装組織を攻撃することができなかった。つまり「見殺し」にする可能性があったわけだ。その反面、自衛隊が攻撃に遭った場合は他国軍が自衛隊を守ってくれるという何とも複雑な環境だった。どう見ても異常なことであり、国際貢献の名に恥じるものだった。それは完全に法整備の不備であり、それを今回の平和安全法制で改善した経緯がある。
真の国際貢献とは何か。内戦などが起こった場合、可能な限り当事者の政府が鎮圧に乗り出すが、多くの死者が出たり人道上問題のある行為が発覚した場合、他国の介入により鎮圧と治安維持に乗り出す。「他国に介入するな」という主張によく出合うが、それについて私は賛同しない。人道上問題のある行為や多くの難民が発生している現実をそのまま国際社会は放っておいてはいけない。独裁者や武装集団に好き勝手な行動を取らせることは国際社会の法ルールに背くことであり、許されるものではない。
交錯する欧米の思惑
アメリカを中心とした欧米諸国、いわゆる民主主義陣営は国際社会に民主主義の種をばら撒こうとした。冷戦期には共産陣営との対立が先鋭化し、危機的な状況であったが、お互いの抑止力がうまく機能して、世界大戦級の衝突は避けられてきた。だがそれぞれの国家にはそれぞれの伝統や文化があるので、無理に民主主義文化を広める必要はなかった。これまでのアメリカの失敗は民主主義を広めようとしすぎた。その結果が「アラブの春」の失敗である。政治思想や国民文化を壊してまでの介入は避けるべきだった。その反面、内戦の激化で発生する犠牲者や難民を救う責務を先進国は負っていると考える。つまり政治的な介入は避けて、和平への介入と治安維持に励むことが先進国には求められているのである。
南スーダンに限らず、イラク・シリア・イエメンなどの内戦が行われている国への介入は、上記で示した基本を基に進めるべきである。内戦終結後の政治体制にまで介入することは控えるべきである。
ロシアはシリアのアサド政権を擁護しているが、これはもちろん批判の対象である。中東地域への影響力を保持することと、アメリカへの対峙というプーチン氏の思惑が鮮明に出ている。そこで日本がロシア側に楔を打つことが非常に重要なのだが、それはここでは控えておく。
日本に求められる役割をもっと知るべき
日本では自衛隊が南スーダンで駆けつけ警護を付与されることについて、「危険である」「戦争に巻き込まれる」という何ともコメントのしがたい批判で溢れている。
確かに南スーダンの情勢はここにきて激化している印象は拭えない。 それに対して日本の政治家はどう説明してきたのか。過去の国会答弁を見てみると、
安倍首相
「PKO法との関係、PKO参加5原則との関係も含めて『戦闘行為』には当たらない。法的な議論をすると、『戦闘』をどう定義するかということに、定義はない。『戦闘行為』はなかったが、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった。われわれは、いわば一般的な意味として『衝突』という表現を使っている」
稲田防衛大臣
「私が視察をした首都ジュバの中は落ち着きはあったと思う。新たな任務を付与するかどうかは、今後、政府全体で決めることになる。『駆け付け警護』は、緊急、やむをえない場合に、要請に応じて人道的観点から派遣をしている部隊が対応可能な限度において行うものだ。したがって新たなリスクが高まるということではなく、しっかりと安全確保したうえで派遣することになる」
結論から言うと駆けつけ警護を付与されることで、自衛隊員の安全はより高まるだろう。なぜなら武装集団などは日本の軍隊は攻撃してこないと知っている。よってその周囲を制圧することも挑発することも簡単だったはずである。(実際には他国軍が守ってくれるが)それが自衛隊にも戦闘許可がでることで抑止力が高まる。自衛隊の宿営地に攻撃があったことはこれまで確認されていないが、南スーダンは戦場である。危険なのは当たり前のことである。
日本の世論および派遣反対派、自称平和主義者は自衛隊を南スーダンに派遣するな、と言うが、すでに何年も前から派遣されているのである。駆けつけ警護が可能になったからといって、ここぞとばかりに南スーダンの議論を巻き起こす手法に憤りを感じる。「国連を中心に国際貢献を日本もすべき」だと普段から主張する自称平和主義者は、実態を全く理解していない。国会も常に口先だけの議論に終始している。日本が国際社会の場でどのような役割を担うべきか全く国家観が見えない。もっとレベルの高い議論と、日本の動向が国際社会に注目されるような議論を行ってほしい。駆けつけ警護一つでこのような低レベルの議論に終始することが情けなくて仕方ない。
(大阪発・Mitsuteru.O)