出家出家出家出

↑出家と家出で構成されている

出家に誘われたのは5月の中旬だった。楽しそうだな、と思った。彼と僕では少々状況が異なっていたが、それでも魅力的な誘いだった。

誰だって競争から降りたがっている。例えばカレシを作ることだって、恋愛市場から降りる動きとして解釈してもいいと思う。ある友人は、「理一に来たのもまぁ降りたかったからだよな」とぼやいていた。出家は「降り」を煮詰めたようなものだから、誰だって出家したがっていると言っても…言い過ぎか。

さて5月祭で20時間働いた僕に、その晩の僕は「今自分は何かから逃げている」或いは「これは何かから降りようとしているだけだ」という評価を与えたわけだが、果たしてその無賃労働は何からの逃げ、降り であったのか。

最低賃金以下の労働からは、労働が普段含意してしまう「金銭を得るための」の部分が排されている。しかし僕があの日金銭を授受する動きから降りようとしていたかというと、そうでもない気がする。

思うに僕が作りたかったのは、
「僕は働いていたのではなく、ずっとそこにいただけだ」
の一言だろう。ただ、5月祭のクラスブースにいたというだけ。まあでもそこに居るからには焼きそばを作るし、宣伝もする。「働いているというよりも、焼きそばを作り、宣伝をしている」と胸を張って言うために、僕はあそこに居座っていたのだと思う。(手伝いに行くのでは、「手伝っている」が追加されてしまう。これももちろん,「降り」の対象である)
きっと、労働を労働として見ることから降りようとしていたのだ。そしてさらには、そのようなことをする人間であることを、周囲にも己にも、表明したかったのだ。

「そのこと自体」をするためには多大なる脱走
が必要というわけだ。
いや本当は,そうでもないのだが…

彼との出家は魅力的だったが、断らざるを得なかった。僕はまだまだ「降り」の対象と、それから降りた先の地面を見つけなければならない。今見えている部屋から出るだけでは、はっきり言って不十分なのだ。

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