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⚖ 6年+本人訴訟 【0】~「渡りに船」だった,公共職業訓練の介護福祉士養成科

【訴訟1】で,校長は,事後に事実確認した結果として,「除籍は東京都が決定した」,「訴訟になって確認したら,除籍ではなく自主的退校で処理していたと知った」「変更になった理由を学校は知らない」「学校は,東京都の指示に従った」と主張しました。

上の事実を受け,私は,令和5年3月に,東京都を訴えたのです【:訴訟3】。

なぜ「東京都」なのか?

平成29(2017)年末,私は,某派遣契約が満了となり,ハローワークに行きました。その理由は以下です。
 
① 長年,翻訳やライティングを,パソコンで黙々やり続けていたため,(当然,加齢もあり),視力の衰えが激しく,「もうデスクワークはムリ」「イヤだ」と感じていた。
 
② 「人生50年」のつもりが,幸か不幸か,超え,オマケの人生は「いざ,福祉!」とかねてより望んでいた。
 
その時,ふと目にしたのが,2年間,無料で専門学校に通い,「介護福祉士資格取得」できる公共職業訓練のポスターでした。
 
私は,その8年前,ヘルパー2級(現在の初任者研修修了)資格を,埼玉県が運営する,重度心身障害者施設に3ヶ月程通って(自費で)取得し,その後,4ヶ月間だけある特養にパートで就いたことがありました。

その際,人手不足を補うための要員で,実際,現場で,トイレ介助や食事介助が主要な業務だったのですが,十分な指導を受けられる機会もないまま,ただ奔走する毎日―—―

もともと,新卒者の4月入社迄の,“つなぎ”要員だったのですが,そうでなかったとしても,以下の理由から,「このまま続けられない」と痛感していました。
 
① 人手不足のせいか,利用者の大半が,ベッド―トイレ―食事のテーブルの3点を往復しているだけの毎日で,あまりのQOL(生活の質)を前に,胸が痛む。

② ヘルパー資格は持っているだけで,実務経験は乏しいパートの立場で,利用者のQOLの改善に向けての提案等をする余地がなく,歯がゆさが募る。

③ 身体的に,右肩を傷め,安心・安全な介助ができない状態になった。
 
もともと,50歳+生きていた場合の備えのようなチャレンジでしたので,取材やライティングの仕事に戻った経緯がありました。
 
「介護福祉士資格」自体得られるだけでなく,2年間,介護や福祉に関する学習に専念する機会が,無料で得られるのを知り,私は,「渡りに船!」とばかりに飛び乗ったのです。

国の政策であり,厚生労働省が東京都と委託契約を締結
厚労省 ⇔ 東京都 ⇔ 教育機関(学校)の関係にあった

受講期間中は,失業給付を受け続けられる,(つまり,最低限の生活が維持できる)と知ったのは,申込を決めた後でした。
うれしい反面,「申し訳なさ」もありました。
でも,だからこそ,「しっかり学び,資格と少しは自信を持って,高齢者介護に就いて,バッチリ社会還元するぞ」と意気込んだのです。
 
【補足説明】公共職業訓練(離職者訓練)とは(厚生労働省HPより):
主に雇用保険を受給している求職者の方を対象に、就職に必要な職業スキルや知識を習得するための訓練を無料(テキスト代等は自己負担)を実施しています。

介護福祉士養成科は,受講期間が2年間で,厚労省 ➡ 都道府県へ委託 ➡ 専門学校等の教育機関に委託されています。

入校した専門学校から入校日に配布された,「生活案内・履修規定」冊子16頁
東京都の訓練生としての身分と,同校の学生の身分を併せ持った立場にある。

都道府県ごとに募集期間等が異なり,私の場合,埼玉県在住だったのですが,埼玉県での受講申込期限が迫っていたため,都内機関での受講申込をしました。

また,事前に学校見学をした際,説明をしてくれたその学校の教員(後に,担任となったA)の,「福祉を学ぶなら,東京がいいです。日本では一番進んでいますから」とのアピールに,「ここにしよう」と決めたのでした。
 
まさか,その学校で,上の案内をした本人他からアカハラを受け,1年後に退校させられるなど,微塵にも想像できませんでした◆ 

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