⚖ 6年+本人訴訟【45】都職員S本 申立て事案を放置(不作為)後,握りつぶし?【13】
冒頭 ↑ 画像は,都立職業能力開発センター運営要綱の規定;
東京都(センター)は,訓練生(受講生)に対し,安全配慮義務,学習環境整備義務,注意義務等を負い,申立事案が発生した際には,適切な措置を講じる職責を負っていた。
(⇒本連載【44】↓ のつづき;【訴訟3】での本人陳述書から)
去る1月20日付の「訴え変更申立書」で述べたように、S本氏をはじめとする職員が、自身の不正を隠蔽するために、不合理な対応を重ねたと考えるしか説明がつきません。S本氏が、12日に電話連絡したという、ハローワーク川越担当者の記録と、副校長に送ったメール(↓)を比較しただけでも、対応の矛盾や不適切性が明白です。
私は、退校後、約6年間、甚大な代償を払ってこの事件に向き合い続けています。
裁判のために転居し、その後、岩手の義母に生活支援が必要となったため、夫と別居を余技なくされました。
また、時間的、体力的、精神的に余裕がないため、日雇いか単発の単純労働に甘んじるしかなく、昨年までの5年間の収入は合算しても400万円以下です。老後や起業のための備蓄を崩し、経済的打撃は拡大する一方です。
この6年間、民事訴訟についてイチから学びながら、訴訟証拠収集や調査、書面作成に明け暮れ、盆も正月もないままです。
学校側から、「授業を妨害した、お前に問題がある。みんな迷惑していた」等、全く根も葉もない抽象的な言葉による攻撃を受け、私は、何度も夜闇を、泣きながら彷徨いました。また、裁判官の理不尽な対応を前に、裁判所の窓から投身したい衝動にかられ、必死で堪えたことも何度かあります。
6年という年月で加齢し、特に身体的に相当すり減ってしまいました。介護のプロになるどころか、近い将来、自分が介助を必要としそうな気配を感じるこのごろです。
それでも、裁判をやり続けたことを悔いてはいません。裁判を経て、「私は被害者だ」と、たしかに実感でき、最低でも、自殺念慮からは脱することができました。また、昨年、事件以来続いていた不眠症が緩和され、時々でも、夜、数時間以上、継続して眠れるようにもなりました。
ですが、私は今も、「なぜ」の山を抱えたままであり、基本的人権や人格権を侵害されたままです。学校やセンターによる対応に加え、(詳細は省きますが)裁判所からも、社会のゴミであるかのような扱いを受け続けたまま、黙って死に向かうことはできません。社会全体の福祉を目指す意味でも、これまで私を支えてくれた人々の思いを原動力に、命ある限り、人権の回復を求めるつもりです。
それにしても、一体、私が、何をしたというのでしょう。
もし、私に相応の非があったのなら、それを明確に提示してください。
さもなくば、この事件の責任の所在を明らかにした説明と謝罪をしたうえで、私が被った損害の一部だけでも賠償してください。そして、同様の過ちが発生しないよう、対策を講じてください。
また、日本は憲法に基づく法治国家であり、私はその一国民として、裁判を公正に受ける権利を有しているはずです。それとも、それは私の誤解で、この国では、資格もコネも財力もない、もはや将来性も薄い、ただの「おばさん」には、権利を主張する行為自体が認められ得ないのでしょうか。
以上
(⇒連載【46】につづく)
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