⚖ 6年+本人訴訟【44】都職員S本 申立て事案を放置(不作為)後,握りつぶし?【12】
冒頭 ↑ 画像は,【訴訟1】で被告が提出した副校長の陳述書の一部;
3月9日,東京都産業労働局職員は,副校長に,退校申請書を書かせて,雇用促進訓練室に持参させるよう指示した旨を断言。
矛盾
しかし,このブログ本文最下部に貼付したように,同室長は,同申請書の記入は,学校が本人と退校日を相談し,説明したうえで記入を求めるものと断言。
(⇒本連載【43】↓ のつづき;【訴訟3】での本人陳述書から)
6年間、裁判を続けて、今
私たち訓練生(受講生)を学校へ委託していた、(東京都立中央・城北職業能力開発)センター、又はセンターの担当部署であった、再就職促進訓練室は、当時、この件の、何をどこまで把握していたのでしょう。ハローワークを介して事案受理した後、学校に出向いて事実確認を行っていた担当職員(多分に、S本氏とT本氏の2名)は、何を根拠に、対応せずに放置していたのでしょう。
なぜ、一度も、私に事実確認等を行おうとしなかったのでしょう。
なぜ、クラスメートらにヒアリングし、学校側の言い分の客観性や妥当性等を確認しようとしなかったのでしょう。
なぜ、学校側の最高責任者であった校長に、接触しようとせず、副校長の話だけで処理し続けたのでしょう。
その一方で、なぜ学校側から出た回答の真実性を確認することなしに、鵜呑みにして厚労省に回答書を提出したのでしょう。
なぜ、学校側と私との面談の立会を断固として拒絶し、私が厚労省の後押しを受け、知人の立会により学校と面談する申し入れをしたその日に、副校長に、「除籍予定連絡」を私にするよう指示したのでしょう。
なぜ、除籍の根拠とされていた不合格判定についての説明を、学校が行っていなかった事を認識していながら、私が不当判定を訴えていたにもかかわらず、何らの確認も行おうともせず、3月8日に、「3月9日付で除籍」と判断したのでしょう。
いまだに不明なことばかりです。
そして、最大の疑問は、私が「3月9日付除籍」により退校手続を行った12日に、「なぜ」と目の前で、涙を流しながら不当処分を訴えていたにもかかわらず、S本氏は、何らの説明も確認も行わないままだったことであり、その一方で、自主的退校だったとして「3月9日付の退校申請書」を提示していることです。
失業給付で生計をたてていた中、12日の退校手続時、学校側の指示通りに、「9日」付で記入した結果、私は同10日以降の給付を失い、私は経済不安に陥り、それがパニックの一因でもありました。敢えて遡った日付を記して、3日分の給付を避ける理由などなく、自分の意思による「自主的退校」でなどあり得ません。何よりも、実際に退校手続を行った学校側が、「東京都は除籍処分にした思っていた」と明確に述べているのです。
どう解釈したら、これらの対応を、「適切だった」と言えるのでしょう。
(⇒本連載【45】↓ につづく)
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