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⚖ 6年+本人訴訟 【12】~副校長「ウソ八百」を自白ー「被告は破綻」と森剛裁判官
令和4年3月24日,私が,「除籍で退校」となった専門学校の校長で,【訴訟1】の被告が死去し(本連載【10】参照),裁判は「訴訟承継人」が確定するまで中断となりました。
同7月,承継人が元校長の配偶者と決まり,【訴訟1】が再開―—―
そして,翌8月,被告側(訴訟代理人弁護士を介して)が提出した,かの「副校長」の陳述書の内容に,私は仰天―
“「ウソ八百」の自白”があったからです。
以下が,「(当面,AとB)2人には言わない」の約束①に対する,「ウソ」を自白した箇所です。
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その約1年前,令和2年7月,被告側は,以下を陳述していました。
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つまり,副校長は,「全く関知しない出来事」と述べていた校長が存命中には,事件当時,私に言ったとおり,「伝えてない」と校長に報告していた。
しかし,校長亡きあと,自身の「大ウソ」を自白したのです。
校長が,副校長に事実確認する際,追及された副校長が,自己弁明を重ねるうち,さらに「ウソ」で塗り固めた結果と推されます。
事実,校長側が提出した証拠で,令和2年4月6日に,副校長が作成したとされている,「経過報告書」にも,約束①についてが明示され,9月5日に,「伝えていない」と回答した旨がありました。
★副校長は,約束①を無断で反故
★副校長は,約束①の反故について,私に虚偽回答していた
以上が明らかになったのです。
ここで,【訴訟1】の被告であった校長の,「校務掌理権」(:校務をつかさどる権限)及び「所属職員監督権」(:所属職員を監督する権限)の行使を怠った違法は,さらに明確化し,校長の安全配慮義務(注意義務)を追及しました。
他方,以下のように,死去する直前(令和3年2月),校長は,退学届の作成・提出を要求した事実を認めています。
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上記は,校長は,自身の「校務掌理権」及び「所属職員監督権」の行使を怠っていた事実を,自白したも同然です。
なぜなら,校長は,7月13日の校内相談(面談)後,「簡単な報告を受けた」事実を認めていたのです(本連載【7】参照)。
その約8か月後の,平成30年3月,自身が校長を務める学校の職員が,(報告を受けていた)事案の当事者であった私に「退学届」形式的に書かせていたにもかかわらず,自身は「全く関知しない出来事」と主張し,「その経緯も理由も,学校は知らない」と主張しているのです。
ちなみに,私が,校長の死去直前,●●区に開示請求して入手した,同校の学則には,以下が定められていました。
(自主退学)16条
退学しようとする者は、その事由を記し、校長の許可を受けなければならない。
しかし,私は,退校迄もその後も,一度も校長と会ったことがなく,「許可」を受けていません。校長自身,「関知しない出来事」ですから,どう転んでも「自主退校」が事実とはなり得ません。
支離滅裂,メチャクチャ過ぎ―――
裁判にも法律にも,ド素人の私でも,はっきりと感じられました。
私は,校長が,「校務掌理権」及び「所属職員監督権」の行使を怠り続け,かつ安全配慮義務(注意義務)を怠った違法を,改めて訴えたのです。
そして――—
令和4年1月14日(第10回弁論準備手続期日)
森剛裁判官は,電話の向こうの被告代理人弁護士に,言いました。
「被告は破綻してますから」
この言葉を聞いた瞬間,私は耳を疑い,咄嗟に,森剛裁判官を見ました。
スピーカーを向いた,裁判官の顔は,明らかに苛立っている様子でした。
ちなみに,既に,提起から3年半が経過していました。(途中,移送申立,パンデミック,被告死去による承継人確定までの待機で,計8ケ月程の中断あり)
全13期日で,準備書面は,200枚(裁判所の推奨書式の場合,約400枚)を超え,証拠は70点を超えていました◆
(※冒頭の画像は,私が作成した,準備書面の山)