見出し画像

根っこから自分のペースで育てる

”あなたには根っこはありますか?”

大学まではみんな同じレールに乗っていたけれど、社会人になると皆が自分の選択をしてそれぞれの人生に枝分かれしていきます。

大学卒業から順当に進んでいる者もそうでない者も当然にいます。
両者の決定的な違いはなんだろうか?

答えは『根っこ』です。
同じ場所にいるようで、それが自分の確固たる選択によるものなのか、風任せになんとなく選択したものなのか、これを人生における根っことします。

根っこが満ち満ちたものであれば、多くの栄養を吸収することができますし、その分成長速度も早まります。さらに磐石な木に育って行くのです。
そうした木には、多くのものが実ります。家族、車、家、夢など。

いつからでも遅くはありません。
そうした普遍の事実に気づき、自分と向き合いながら自分のペースで根っこを育てていく。これだけで人生は豊かなものになります。

これまでの人生の中であなたには多くのヒントが残されているはずです。
アドレナリン的なものでない喜びを感じた瞬間を覚えているでしょうか?
冷静になって思いを巡らせてみると、たくさんあるはずです。

この人生における正解など一つもありません。
ですが、この人生とは苦しみと喜びを一つ一つ克服する道であるとは思います。
今日あることも明日あることも人生の肥やしにしていくのが豊かな道です。

ここで私の好きな偉人である江戸の教育者:吉田松陰先生のお言葉を一つ。
注)処刑を目前にした際に松陰先生が弟子に残したお言葉です。

今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。

つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。

私は三十歳で生を終わろうとしている。
未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。

もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。

参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」

🚨こちらの記事は私がAIと共同して制作しているコンテンツの制作ノウハウ全てを詰め込んだものです↓皆さんにお渡ししたい内容です。
来年から有料記事に変更予定ですので、興味のある方は年内までに!

🚨こちらの記事は、超繊細さんでストレスフルだった私が3年間にわたり蓄積してきた生きやすくなるための経験値を凝縮した教科書です↓
2月から有料化しますのでお早めに!

いいなと思ったら応援しよう!