満たされると弱くなる
満たされすぎて、ある一定の水準を下回るとすぐに不幸だと勘違いしてしまう現代人。そんなことはないんだと思うんです。
増やすよりも減らす方が難しいけれど、長い目で見れば豊かではなかろうかという内容のブログを書きたいと思いました。
※本ブログは、私自身の経験則と気持ちを伝える趣旨で作成することを目的にしましたので、文章生成AIを使用しておりません。
はっきり言って現代は満たされすぎよ
戦後、高度経済成長期を経て我々の生活は、飲み食いにも困らないし、寝る場所もあるし、明かりがあるし、ましてや室温まで操作できるようになりました。驚くほど生活水準を高めてきました。
今では、スマホで食べ物や日用品を簡単に注文できるし、仕事はリモートワークで効率的になったし、娯楽も無限大で、退屈する暇なし。
一見素晴らしい状況ですが、この「満たされ過ぎた生活」が、私たちの心や体を弱くしているのではないでしょうか?
ハングリー精神って最高だぜ
今私は、畳4畳くらいの小さなボロアパートで暮らししていますが、実家にいた時よりもよほど生活の工夫ができるようになりましたし、何か手に入れた時の喜びを感じることができています。
こんな渇渇な生活をして感じた一つの真理は、満たされると、幸せの感度が鈍るということ。
成長を促す原動力にもなり、人は足りなかったり欠乏を感じた時に初めて動き出すという決断をしますし、『もっと良くなりたい』という気持ちは自己成長の原動力になります。
満たされるってもったいない
満たされる=失うってイメージしづらいと思います。
簡単に説明しますと、何もしなくても困らないという環境は、何かやってやろうとか頑張って手に入れたいって気持ちを削ぎますし、人は「足りないものを埋める」という過程で幸福を感じる生き物ですが、そうした過程を奪ってしまうことは本当にもったいないです。困難を乗り越えるという経験が減ると、自分への信頼や達成感も薄れてしまいます。
物質的に捉えれば、よくわからない話だと思いますが、メンタル的に考えれば、共感できるのではないでしょうか?
ハングリー精神には賞味期限がある
ハングリー精神を養うには、人と比べないメンタルと、ある程度の活力が必要になると思います。そういった意味で若いうちがいい。
無駄に知識がつくと「何のために苦しい思いするの」とか、合理的な判断をしてしまうからです。
はっきり言って、ハングリーになる=狂うと同義であると思っています。狂っている人は狂える人は合理的な判断を下す理性があるでしょうか?ないですよ、しかもそんなものいつからだって回収することができる。けれどもバカであるためには時間は有限である
私の考え
私自身、ハングリー精神が大事だと気づいたのは、生活が便利になりすぎていたと感じたときです。
快適さの中にいても何かが満たされない気持ちがあり、そこでわざと自分を厳しい状況に置いてみたところ、心が軽くなる瞬間がありました。
例えば、新しい趣味に挑戦する中で、「まだまだ知らないことがたくさんある」と感じられるのは、すごく良い経験でした。
「便利で快適=幸せ」とは限らないことを、身をもって実感しています。
あと、みんなに合わせるのをやめてください!
人生は自分だけの物語だと思って、ストーリーを逆算して作っていくイメージがいいかもしれません
自分の得意不得意、何となく感じる雰囲気の良さ悪さ、力を抜かないとわからないことがいっぱいあります。
誰かの自分では本当の喜びを知ることはできません。
自分の飼い主は自分なのですから、無理なものは無理、やろうと思ったことは誰が何と言おうとやろう
次は『脱力』について記事を書きたいと思います→