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愉しみはもう見つけましたか?
私にとっての愉しみ
ここではあえて楽しいではなく、愉しいと表記します。
その理由については、後ほど説明させていただきます!
さて、みなさんは自分の愉しみを言語化することはできますか?
ここでいう愉しみの対象は、自分の心の中にあるものに限定します。
私の場合、
・芽生えた感情をメタ認知して、客観的に解釈できるようになること
・抽象的な考えを脳内のイメージに近い形でアウトプットすること
・脳内の発想を連想していき、どのような結末になるか推測すること
などが挙げられました。
たのしみには2種類がある
たのしみには2種類あると思っています。
1つ目は、自身が見つけ出したもので、持続性が高く、エネルギーの源であり、人に認められなくても、喜びを見出すことができるもの。
ここでは愉しみと表記させていただきます。
私が愉しみを見つけた際の共通点は、いつも自身の内面と向き合っていました。一生ものになる分、見つけ出すのは容易ではありません!
2つ目は、他者の存在を絶対条件とした感情であり、依存性が高く、多幸感が得られますが、それは一時的であるがゆえ、それが無いと焦りを感じてしまうもの。ここでは楽しみと表記させていただきます。
先ほど説明した承認欲求型のSNSから得られる喜びはこちら側です。
愉しみを共有する危険性
承認欲求型のSNSでは、人に見せられる楽しみばかりが散乱しています。
そして、愉しみ不足の人はSNSを見て、その楽しみを模倣して、それをまたSNSに投稿します。この無限ループが続いているようです。
そして、他者から借りた儚い楽しみを感じて、錯覚を起こすのです。
承認欲求に依存してしまった楽しさや喜びには、共通の特徴があり、イベントの最後にSNSの投稿が予定されているものです。
※もちろんこれに該当したからといって、全てがそうとは限りません。
こうして内発的な本来の愉しみや喜びを見失っていく・限定されていくことが予測されます。
未だ、そうしたSNSが発明されてから時間が経過していないため、直接的にはその影響が形骸化していないかもしれませんが、これから時が経つにつれこれらは大きな問題になると推測しています。
愉しみの見つけ方
もしここまで記事を読んで、本当の愉しみを知りたいと思った方に向けて見つけ方をレクチャーしたいと思います。
すぐにできる方法を3つ共有します!
①SNSをアンインストールしてみる
人間の脳は見るものに対して意味付けを無意識的に行ってしまう特性を持つため、見るものを制限するよう工夫していかなければなりません!
そういった意味で承認欲求型のSNSには危険があります。
②感情をノートで整理する
見たもの・聞いたものを脳内整理する、自身が思っていることを目で見て、認識する練習として、文字に起こして書く習慣を付けましょう!
これが出来るようになると、自分を客観的に捉える能力が身に付きます。
③挑戦をしてみる
書き出した感情の中で自分の核になるものを見つけ出し、そのエネルギーの源を有用に活用できるフィールドでチャレンジしてみましょう!
私の場合ですと、日記を2年ほど続けていますが、その中で『修養』『納得』『カッコイイ』『貢献』というキーワードがたくさん出てきて、自分のエネルギーの源を知る機会になりました。
こうして自分にとって大事なキーワードを知り、進路を考える上での必要な要素となり、次のキャリアを納得のいく形で決定しました。
この3つを実践するだけでも、視界が開けてきます。
ぜひ、愉しみ・喜びを感じてみてください!
愉しみは自分だけが知っていればいい
愉しみは感覚です!
つまり、他者に共有することは出来ないし、する必要もありません。
そういった事をしなくても満たされている状態こそが愉しみの境地です!
自分の感覚を安売りすることなく、比較することなく、愛するペットのようにじっくりと愛を持って育んでいってください!
唯一無二の感情ゆえ、とても貴重なので、離れていかないように、愉しいという存在を確認し続けるよう習慣化しましょう。
そういった意味で内面と向き合うためにノートに思いを書き出すことは大事だと思います!
愉しみを知る者は人を愛すことが出来る
自分だけの愉しみを知っている人は、心にゆとりが持てます。
どんなにハードな環境に身を置いても、自分を保っていられます。
その理由は、愉しみの在りかを知っているから、戻ってこられるからです。
悩みや不安は、分からないという状況に陥った時に発生するごく自然の感情ですが、そんな渦中にいる時にも、自分で発見した確かな愉しみさえあれば、どうにか乗り越えることができます。
そうして大きくなった器には、たくさんのものを乗せることが出来るのです。
まとめ
現在は、多くの情報に触れる機会が多くあり、そうした環境の中では、内面にある尊いものが軽視されてしまう傾向があります。
時代の副産物として増大してしまった承認欲求はやがて己を忘れさせてしまいます。
そうなる前に内面と向き合い、確かな感覚を知る訓練をしておくことで、健全なアイデンティティが形成され、それが誇り高い生き方へと繋がる種になると思います。
この記事で、一人でも多くの方が、自分を知る良いきっかけに繋がれば嬉しく思います。