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没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す(サントリー美術館)

 暑かったり突然寒くなったりしながら、ようやく秋めいてきたと思ったらもう11月、すぐ冬になってしまいそうだ。
 気付けば空も高く、都心でも急ぐように銀杏の芳醇な香りがあちこちで漂っている(くちゃい)。なんともグラデーションのない、足早な秋になりそう。

 さて、かなり強引だが日本美術の企画展もこんな感じだ。まだかな〜と待っていて、まだ間に合うと思っているうちに短い会期が進み、慌てて観にいく。というわけで、閉幕のせまるはなぶさ一蝶いっちょうの回顧展を観覧してきた。




英一蝶について(今は知名度いまいち?)

 英一蝶という絵師は日本近世絵画史の重要人物とされている割に、一般の知名度は釣り合っていないように感じる。かくいう私も作風のイメージはありつつ、代表作と言われるとポンポンと出てくるわけではなかった。狩野派を学習しながら風俗画を得意としたという点で、大きな流派に位置付けられないのもその理由のひとつだろうか。

 今回一蝶の作品をまとめて観て感じたのは技術の高さ。風俗画で洒落っけのある画風の印象そのまま、もっと大らかな筆かと記憶していたが、やっぱり百聞は一見にしかず。
 一蝶はかの狩野探幽たんゆうの弟・安信のもとで修行をしたそうだが、やはり狩野派の教育は土台のよさはこの筆技の習得にあると思う。安信は探幽・尚信の兄たちに比べ実力が劣るという評価だがこうして優秀な弟子や息子(常信)を育てたという意味で偉い人だ。

 彼は罪人として長く三宅島に流罪になっているのだが、その期間中も落款に「狩林……」という字を記載しているあたり、自身が狩野派に連なる絵師であるという自覚はあったようだ。これも意外だった。

一蝶の作風

 一蝶を絵師として際立たせているのはやはり風俗画。市井の人々の生活や、遊興の場を実に軽妙に描いている。もったいぶったり偉そうな感じを出さず、それでも細部まで神経が行き届いた緻密な描写が見どころのひとつ。個人的にはメインビジュアルにもなっている《布晒舞図ぬのさらしまいず》(遠山記念館、重要文化財)などは美しさ、軽やかさの案配がちょうどよく小ぶりなサイズもあいまって好きな作品。

 流罪になって三宅島にいるあいだも、将軍代替わりの大赦によって江戸に戻ってからも、注文が絶えていないところに彼の人気が窺える。罪状は諸説あるようだが、概ね風紀を乱したというような内容なので、見せしめ的な意味合いもあったのかもしれない。
 江戸に戻ってからは風俗画封印を宣言して、狩野派らしい謹直な画風の作品が多くなるが、豪華な屏風の大作もあり、元罪人にしてはかなり立場のある人物からの依頼も多くあったのだろう。

 幕府側でも「あれだけの才能を埋もれさせとくのはもったいなくね? 大罪ってわけでもないし……」という意向があり、片や一蝶は配流中に交友のあった俳人の松尾芭蕉、宝井其角の死に目にも立ち会えず、「もうこんな思いはしたくないから行動を律しよう」と思ったかもしれない。(これは妄想だけれど)そんな需給がマッチして、江戸復帰以降はより堅実な作風で腕を振るっている。


今回唯一撮影可能の《舞楽図・唐獅子図屏風》(メトロポリタン美術館)の一部。六曲一双の屏風で、舞楽図の裏面に唐獅子図が描かれている。
俵屋宗達の《舞楽図屏風》をもっと賑やかに、精緻にしたような作品。


 さて、そんな一蝶だが、私としてはやはり画面に軽妙さやウィットが感じられるような作品の方が好きだなという感想を持った。彼を慕って配流中も注文をしていた友人や教えを乞うた絵師たちも、きっとそこに惹かれていただろうと思う。

 鶴に乗った仙人が巨大な雲の巣にうっかり引っかかっている《王子喬図》(愛知県美術館 (木村定三コレクション))や、背中の火炎光を脇に置いて滝行をする《不動図》(板橋区立美術館)などは思わず笑ってしまう面白さがある(そういえば仏像だと光背は別材で作ることが多いなあ、やっぱり取り外し可なのか、なんて思った)。確かな画技でユーモアを出すからこそ価値が出ていると思う。日本のアカデミズムといえる江戸狩野派と、庶民の生活に密接した浮世絵の、いい具合の中間に位置するような作品ではないだろうか。

 最終盤に展示されていた《狙公・盃廻図》(大手前大学)。
 双幅の作品なのだが、左幅の印が上下逆さに押されていて、すぐ脇に「老眼逆印」と小さく書きこまれている。
 制作のラストで失敗をして落ち込みそうなところであるが、「いけね間違えちった」とか言って照れ笑いをしながら「老眼…」を書き足す一蝶老人が目に浮かぶようだ。
 芸人という主題もあわせて、一蝶らしい作品だと最後にほっこりした。

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