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自分にファンがいない理由を考えてみた
note2本目にして悲しいタイトルです。
さて、元々読む専でnoteのアカウント自体は作っていたのですが、前記事より実際に書き始める側もやってみようとした理由を記しておきます。
ブログ等もそうですけど、こういうのはそのうち書く目的や方針が迷走するのがお決まりなので、今のうちにここに書いて読み返す用でもあります。
(この理由がタイトルと大きく関係します)
japaneoを知ってもらいたい
最大の理由は下心です。
やっぱり、活動しているからには知ってもらいたい。
これは音楽作って発表してるだけではダメでして。
ちょっとまじめな話、自分のことをtwitter等でフォローしてくれている方で、私japaneoが何をしている(SSWとかギタリストとかリスナーとか)人なのか、どんな感じの人なのか、認識していただいている方ってどれくらいいるんでしょう。
もちろん音楽活動でリアルにお付き合いある方もいますが、そういうケース以外が大半だと思うので、その場合の認識率ってどうでしょうか。
これ、体感ですけど多分ほぼほぼ0%に近いと思っています。
もう一段低いレベルで言えば、japaneoの名前を認識している人がフォロワーさんに実際どれくらいいるのかって話です。
これもどうでしょう、正直10%もいない感じでしょうか。
これってどういう状態?
japaneoのファンがいないって状態じゃないでしょうか。
ファンって言葉は幅があるので語弊あるかもですが、要するに大小あれど
「その人の心に自分が存在できてるかどうか」ってことじゃないかと。
ここではそう仮定して進めます。
文字通り、多分今の私japaneoは存在すら認識されていない、そんな位置にいるんだと思います。
これは一番まずいやつです。
クリエイターとしては致命傷です。
(あ、ちなみに、お前の世界はネットだけかよと言われそうですが、そうです。japaneoとしてはネット上での活動がメインで、いわゆるライブハウスやクラブ等で活動することが現状ないのでネットでのファンがいない=ファンがいない、に等しい存在です。)
なんでそうなった
音楽性以前に、人間性を見せてないからじゃないでしょうか。
と思っています。
これ、ちょっと自分に問いかけてみたんですよ。
Q: SNS等で、自分がつい見てしまう、追ってしまう、ような人はどんな人か?
私の回答:
・思考、意思、ストーリーを共有している、出している人
・自分よりレベルが上か同じくらいの人
・ちゃんと動いてる(活動してる)人
・前向きな人
・成果物が自分好みの人
これは箇条書きにしてますが、実際は上の項目ほど自分の中では影響あるものです。
つまり、プロセスという意味でも、プライベートという意味でも、とにかくストーリー=人柄が見えて、前向きに活動している人、のファンになる傾向があるということです。
(加えて、自分に近い少し上のレベルの場合さらに◎)
そしてもちろん、音楽性趣向も当然グッときたらグッときます。
もう一つ、今度は逆の質問
Q: 逆にSNSやYouTubeで、自分が見ない/追わない人はどんな人か?
私の回答:
・グチばかりの人
・表面的には綺麗(=一見映えてる)だが、血の通いが感じられない人
・宣伝ばかりの人
・メジャークラスのレベルが高い人(これは必ずしもそうではないですが、ニュアントしては、内面をあまり出すことはなく、外面の運用や宣伝に留まっている場合)
これは箇条書きにしてますが(以下同文)
つまり、その人のストーリーや内面が見えない場合、または活動が見えない場合はダメ。(一番上のグチってのはそれ以前の種類の話ですね、自戒)
この2つの質問から得た私なりの結論ですが、
人は、誰かのファンになるためには、その人の内面、ストーリーの共有と、当然伴うアウトプットがめちゃくちゃ重要。
そして面白いことに、実は音楽的レベルや音楽的嗜好性はそこまで重要性を持たない!かも
(それはそれで音楽家としてどうなんだって話もありますが、そういう話ではないので、その疑問は一旦飯食ったあとで考えましょう)
このことは、実証済みっていうと大げさなんですが、実は私は音楽以外にも仕事関連や趣味のtwitterアカウントをいくつか持っていて、そのうちの一つはちょっと前に始めたばかりでまだまだフォロワー数も全然少ないんです。
しかも、その世界では完全な初心者なので、成果物として発表することも少なければレベルも著しく低い。
なのにですよ、全然japaneoアカウントより交流もあればリアクションもあるし、いわゆるエンゲージメント率と呼ばれるようなものは比較にならないくらい高いわけです。なので楽しい。
これは一体なんなのか。
そちらのアカウントでは、成果物の質は低いし数もないけど、初心者なりの思考や取り組みの様子を発信したり、悩みを書いたりしており、まさに内面やストーリーの共有を自然に実現してるのではとハッとしました。
一方、japaneoアカウントはどうでしょう。
まず発信が少ない。しかもあげてる成果物も少ない。
たまにフラッと現れてまたいなくなる。タイムラインもあまり追わない。
これでは認識されなくて当然の結果なわけです。むしろ世間正しい。
言い訳する余地なし。
なぜそんな運用してるんすか
「音楽家は成果物だけを出し、余計な喋りは必要ない」という恐ろしくみずみずしい精神があったのも恥ずかしながら事実(間違いではないけど)。
あとは、自分は訳あっていくつかの名義で音楽活動をしており、このjapaneo名義だけが完全に自分コントロールのアーティスト名義なんですが、活動量が一番少ないのです。
だから、他での活動に逃げ道を作ったり言い訳したりしつつ、こんな運用の結果となっているのかなと思います。
自分の音楽活動をする上で一番重要な名義なはずなのに、、
だからnoteを書くことにした
です。
別にnoteで内面やストーリー綴ったからOK!なわけあるかいなと思ってはいますが、今更ながら一つ一つまずは始めていかないと何も変わらない。
Twitterはフローだし長文も向かないので、とりあえず書き留めていけるnoteで始めようと。
また、これも後日書く予定ですが、幸い現在は休職したこともあり、japaneo活動に時間的リソースを割けるので、このタイミングを逃すまいと思っています。
なお、ここに書いたことは私なりの偏見ではありますが、考えてみればこれまで語り尽くされてきた話ですよね。
でもね、自身の経験を通してしか信じないし身につかないタイプの人間なんです。。。
だから今回は、自身の振り返りで体感したことを戒め半分共有半分で記したつもりです。
(昼飯食わず思いつきで一気に書いたのでちょっと気持ち悪くなってきた)
これから
japaneo名義での成果物の制作を積極的に行う、は大前提としつつ、
このnoteを手始めに、もう少し自分というものの開示であったり、活動報告等を行なっていき、より恥をかき、より笑われつつ、少しずつ一人でも多くの方の片隅に置いてもらえる存在を目指していこうと思います。
ちなみに、もちろん成果物だけを産み出してファンを増やせる人も多いと思いますが、自分はそうなれるタイプでもなければ、交流を閉ざすより積極的にしていって音楽活動に繋げたいタイプだと今は思っています。
それでは、最後に小さい宣伝を置いて帰ります。
最近YouTubeの運用も始めました。ぜひ苦戦ぶりをみてやってください。