奇跡のおみこし 復興劇~1本の電話がつないだ伝統のバトン~
僕たちPublic Mindは、麻布氷川神社さんのお神輿を修復して、約90年ぶりに復活させるためのクラウドファンディング挑戦を応援しています。今回は、修復を担当されている職人さん集団「宮惣」さんとの奇跡の1本の電話など、復興劇の舞台裏をご紹介したいと思います。
お神輿を復活させる立役者の熱い想い
麻布十番にある麻布氷川神社の禰宜(ねぎ=将来的に宮司さんになる方)である羽倉さんという方が、今回のお神輿復興劇の立役者です。
羽倉さんは、氏子さんなどを始めとした、これまでの麻布氷川神社さんのご支援者に加えて、新たな層にも神社のことを知ってもらいたい、開かれた神社でありたい、という想いを持っています。
また麻布十番エリアを始めとした地元の方々の熱意もあって、今回、約90年前のお神輿を「復活」させるプロジェクトを始めました。コロナ感染が広がる前の2019年のことでした。
早くも壁にぶち当たった復活プロジェクト
そのような形で、羽倉さんたちはお神輿を復活させようとプロジェクトを始めたわけですが、どこの職人さんに修復作業をお願いしたら分かりませんでした。
情報を探そうにも、何と言っても、お神輿が作られたのは昭和10年ですから、当時の記憶をご存知の方もいません。途方に暮れていた羽倉さんたちでしたが、「どうしてもお神輿を復活させたい!」という執念を持ち続けて、諦めることはありませんでした。
そんな羽倉さんは驚きの行動に出ます。なんと、お神輿の下に潜り込んで、手掛かりを探ることにしたのです。その時でした!
「あった!何か書いてあるぞ」
お神輿の胴体部分には、古びた状態ではありましたが、漢字で「昭和10年建造 宮惣」という文字がしっかりと刻印されていたのです!
「み・や・そ・う、みやそう、だ!」
修復してくれる職人さんを探しあてた執念
そこから麻布氷川神社の皆さんで電話帳をひっくり返し、インターネットでも調べて、何とか「神田 宮惣」さんにたどり着きました。
代表電話に一本の電話をして、緊張の面持ちで背景や事情を羽倉さんがお伝えしました。宮惣さんは当時の神田から場所を移したものの、まだ修復事業を手掛けられていました。宮惣さん側にも、昭和10年の製作記録が残っており、なんと、修復を検討することは可能だということでした!
その後、数多くの打合せを重ねた上で、最終的に宮惣さんで修復作業を引き受けて下さることになりました。
90年前に製作をしてくれた職人工房さんと同じ工房の手によってお神輿が復活をする、という素晴らしい展開になりました。羽倉さんの執念が手繰りよせた一本の糸によって、約90年前のお神輿が時を超えて、現在に蘇ることになったのです!
伝統を継承するというお仕事
お神輿を製造・修復する職人さんたちの数は減っているそうです。お話をお伺いした宮惣さんによれば、関東地方で3社しか残っていないとのこと。この数年間でも数社が廃業されたということです。
後継者不足という問題もあるでしょうが、どちらかと言うと、お神輿の需要が少なくなって新規の製造案件が減っていることが直接的な原因ではないかと仰っていました。
また、第二次世界大戦の東京大空襲によって、東京にあったお神輿は、ほとんどが焼失してしまいました。そんな中、麻布氷川神社さんも境内の半分近くが被害に遭われましたが、奇跡的にお神輿の入っていた倉庫は戦火を免れました。
僕は、子どもや孫たちの世代、あるいはもっと将来の世代に対して、日本の伝統を維持、継承していく責務があるではないか、と感じています。
90年の歳月を経て、現代に蘇るお神輿
今回、まさに奇跡的なお神輿の修復作業がほぼ終わり、もうすぐ皆さんのもとにお披露目することができるそうです。羽倉さんの強い想いと、一本の電話によってつながった伝統のバトン。
こうした伝統を継承・発信するプロジェクトを、僕たちは、これからも地道に続けていきたいと思います。
(ちなみに、今回のお神輿復活劇の修復費用の一部をクラウドファンディングでご支援頂いていますが、以下のサイトで1月15日まで募集しています)
https://camp-fire.jp/projects/view/339357
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