農は天地一体 信州木曽 山下農園
自給とは食べ物だけではなく生活全般に及ぶものです✨様々な自給があることを記事にしていけたらと思います😊
私の経験から百姓としての思想や考えを語ります。
【マガジンの内容】 著者が大阪から長野に移住し百姓を目指した10年間。その百姓になる過程で感じたこと見えてきたことを綴ったエッセイ集。 百姓が内側から見た農の世界について語ります。 全17エッセイ集録。 【読者の感想】 「農業にとどまらず、読んでいると実に奥が深い。」 「この資本主義社会の世の中において競争、効率化、お金に振り回され。本来有る大切な事を忘れ、日々を過ごしている事に気付かされる。 何度も読み返したくなる一冊だ。」 「地球と地球に根ざすものたちから たくさんの気付きと忘れていた心を想い出す。」
結婚記念日に味噌をつける43歳😁 麹の作った時期が違うので2つに分けてつけてみた✨ たぶん麹の出来により味も変わって来るんだろうなと思います。 豆のつぶし加減などもあり、色々と注意しないといけないことがあって面白い。 こういう、自分の感などで身につけていく技術がやはり楽しくて、五感を使っているな〜っていう気持ちよさがある✨ 知り合いに味噌を作るというと、この地域の人は同年代でも多くの人が昔やっていた経験を持っていたときいて驚きました😯 回数をこなして美味しい家庭の
小さな田んぼが無数に広がっていて 経済活動には非効率に見える農村の棚田の景色は かつてはそんな経済活動とは無縁な生き方をしていた証なのだ。 あの優しい農村の風景は天地自然と共に生きた、共同体の思想や歴史を物語っている。
百姓仕事をしていると、天地自然の声が体に響き教えを受けます。 『きちんと今を見なさい』 『今を感じなさい』 『日々楽しくいきること、良い気分で過ごすことでしか人生は報われないんだよ』 彼らの声は私の感覚や思考をどんどん無垢の心へと還してくれる最高の教えなのです。
農とは『天地自然と人が主体の世界である』 百姓とは『天地自然から恵みを引き出して生きる者である』 農業とは『百姓が引き出すものの中からカネに替わる部分を引き出すものである』 故にカネに替わらない広くて深い農の世界は、人々に見えにくく軽視される
今日はわら草履作りを夫婦で学びにいった✨ 初心者なので、ビニール紐付きですが、なんとか完成✨🧑🌾 出来上がりは個性があって面白い😲 こういう場所に集まった、おじいさんやおばあさんたちとの会話のやり取りは、百姓の話がとまらない🤣 そして、農業という表現ではなく、百姓という言葉が行き交う自然さが心地よい😊 #藁草履 #百姓 #手仕事
私は百姓仕事が本当に好きです。 田んぼ仕事をしていると、鳥がたくさん飛んできて賑やかです。 8月には無数のトンボが田んぼの上を舞う。それはそれは本当に素晴らしい光景です。 そして、その田んぼで採れたお米はもの凄く美味しい。 こんなにも楽しい仕事なのに、百姓をする人が年々減っていくのが本当に不思議でなりません。 「いやいや、農業で喰っていくのが厳しいからだよ」と言われてしまえば反論できません。 実際、私も10年間、農業だけで生活して来たかと言われれば「はい」とは答えられ
本書を手にとって頂き、誠にありがとうございます。 私は2013年に大阪から長野県に移住をしました。 農家を目指し10年、その10年の間に農家になる過程で感じたことを、この本に綴りました。 農業や農家さん、お百姓さんの仕事について、自らが農家を目指すことで、見えてきた世界があります。 そんな、農の世界から見えてきたものを、皆さんにお伝えしたいと思い、筆を執った次第です。 本書はあくまでも、私の個人の経験や知識で綴っています。農家やお百姓さんの代表として、語っているわけで
国民皆農という言葉は、皆さんご存知ですか? 「国民みんなが農業をするってこと?」 と思われるかもしれませんが、現実にそれは厳しそうですね 私が思う国民皆農は 『皆が農の世界と繋がっていることを自覚する』という意味です
今年も、田んぼの虫が、ひょこひょこと顔を出し それを、鳥たちが捕まえて飛んでいく 『今年も米が作れるぞ』 田に水がはられて、しばらくたつと、おたまじゃくしが泳ぎだす 『今年も順調だな』 雨が沢山降ってきて 『今年もちゃんと梅雨がきたな』 稲穂の上を、無数のトンボが舞っている 『今年も無事に、水を切らさず田周りができた』
いつの日だっただろう 私の友人が、体調を悪くして、寝込んでいた時期がありました 寝込んでいた理由を聞いてみると ある博物館の周辺の木々が、たくさん切られてしまったという
棚田を見て人は、なぜ美しいと感じるのだろう? なぜ、農家体験は手植えという原初体験をさせるのだろう? なぜ、有機や自然農法が喜ばれるのだろう? 安全だったらよいのだろうか?
菌は菌 菌は菌のために生きている 草は草 草は草のために生きている 花や 土や 虫も 何かのために生きていない 『今』を自分のために生きている
定食屋さんで御飯を食べていると 後ろから、何やら話し声が聞こえてくる 男性 「昔は若い子たちでも、おばあちゃんたちとかの面倒みんなで見とったけど、わしらの子どもらはみんな都会に行ってもうたから」 「自分らの生きてる時だけ、良かったらええみたいな感じになっとるから、わしらのことは自分らで面倒みなあかん」 女性 「私はだからグループホームを作ろうと思うのよ」 そんな話が、食事中に入ってきた 60過ぎ位の男性と女性の会話だった
昔の農家さんは、できたものを循環させていました 例えば、お米を作り、牛を飼い 大豆を育てている農家がいたとしましょう お米からできた稲わらを、牛の餌として 牛の糞を、田にまいて肥料とする また、玄米を白米にしたときに出た米ぬかと 大豆と稲わらで作った納豆から 納豆菌を取り出して、米ぬかぼかしを作り出す 全く無駄なく、そして貨幣を使って、外から肥料などを買わない 生活が生産であり、生活の土台が貨幣ではなく、農なのです これが、本来の農法なのです
夏場のカンカン照りの畑の草刈り 草刈り機で草を刈っていると、日差しと暑さが襲いかかってくる そして、ダラダラと流れてくる汗 ぶっ倒れそうになる
百姓には失いたくないものがある 私は、お米作りの修行中に、よく師匠から 「手仕事覚えろ」と言われていました 手仕事覚えてから機械をさわれと そのとき、理由までは教えてくれませんでした