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日本紹介-岡山-

こんにちは🌇
伝道師遼太朗でございます。

本日はまず発表をしたいと思います。
このnoteを毎日投稿しようと思います。
理由は書かなくなるからです。笑
noteの時間を作らないと、書かなくなることがわかったのでこれからは毎日投稿していきます。

来週の月曜日から毎日投稿始めていきたいと思いますので、ぜひ毎日読んで候。

べベン。

今回は岡山県の紹介をしたいと思います。紹介というより行ったところの写真と軽く歴史を書こうと思います。

岡山県は海と山に囲まれた自然を全開で感じれる街です。私自体も行ったことは数回ですが、昨日仕事の関係で岡山県に行って参りました。
倉敷に用事があったんですが、岡山市により、少し観光をし、倉敷に向かいました。

岡山市といえば岡山城

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本丸跡をまず見ました。いまは駐車場になっていましたね。悲しい😭

少し歩いて、旭川に来ました。
面白いのが旭川の両局に烏城(岡山城)と後楽園があり、これは歩いてほんとにすぐ行ける距離です。

朝の6時に行ったんですが、地元の方がウォーキングやジョギング、散歩をしていました。

まずは天守閣

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カッコいい。
黒色です!近づきます。

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カッコいい。。。
石碑に豊臣の家紋、宇喜多の家紋がありますね。(他はわからないので知ってる方がいれば教えてください)

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下から。
思ってたよりは小さかったです。

なぜ烏城という名前なのか。
外壁の板が黒色だったことからきているみたいです。

現在の天守閣は昭和44年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、外観は旧来のものと全く同じように再現されているみたいです。宇喜多秀家はこの城に居たのか。🤔🤔

この城を作ったのは宇喜多直家。それを拡張整備しいまの形にした息子の宇喜多秀家。
宇喜多家とは戦国・安土桃山時代の武士で、
特に宇喜多直家が下克上を起こし、備前一国周辺の備中、播磨の国の大名に。
息子の秀家は、豊臣秀吉の養子で、
徳川家康、前田利家と同じ五大老の1人。57万石の大大名となった人物。
これは今でいう、日本の知事以上のような存在で、中国地方では圧倒的に影響力があった人物であります。

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この街を築いた方ですね。

旭川からみる烏城は本当に綺麗かったので、住みたいと思ってしまいました。

コロナ禍が影響しているということで、早朝にご飯が食べれそうなところはほとんど空いてませんでした。岡山飯を食べたかった、、

次に行ったのは、備前一之宮 吉備津彦神社。

さすが一之宮。大きかったですね。迫力がありました。

御祭神は大吉備津彦ノ命。備前以外にも、備中、備後の一之宮でも御祭神として祀られています。これは昔、備前、備中、備後が分かれる前に吉備という地名で街が分割されていたことから、この辺一帯の御祭神として祀られているみたいですね。

岡山県といえば桃太郎。というイメージがあると思いますが、これはこの大吉備津彦ノ命からきています。古代日本まで遡りますが、第7代孝霊天皇の皇子として生まれた吉備津彦ノ命は、この地域で略奪などを繰り返していた、一族を討伐するために将軍として派遣されます。吉備津彦ノ命は見事退治し、この地に平和がもたらされたと伝えられています。このストーリーが桃太郎の話になぞられているみたいですね。

実は知らず知らずに、私たちは日本の歴史を学んでいたということがわかりました。こうやって後世にも伝えられていくというのが本当に必要な歴史であり、素養となります。今回は仕事の都合で満足に岡山県を観光できなかったのでリベンジしたいと思います。



それではこの辺にて、

ベベン、、

煮えてなんぼのぉ。

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