ここは、湖の底。(自己紹介<<自分語り)
初めまして。あわうみと申します。絵を描くことが大好きです。
物心ついた頃から社会人になった今まで変わらず絵を描くことが大好きで、20年以上継続できたことなんて他にはもう「生きること」以外無いような気がして、最近になってもうこれは命と共に一生手放してはいけないものなのだと思うようになりました。
2019年の秋から「*あわうみ」名義でTwitterに絵を投稿しています。
これを読んでくれている方の多くは恐らく、私のことをTwitterで知ってくれている方なのではないでしょうか。今日は私なりに、私の紹介をしてみたいと思います。書いてみたら曖昧模糊模糊な長文になってしまいました。何だか急に秋めいてきたこの頃、退屈を持て余すような夜のお供に、何となく活字が恋しい時のお供に、読んで頂ければ幸いです。
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あわうみと申します。あわうみには「淡海」、淡水の海の意、即ち「湖」という意味があります。私は私の解釈で言うと、湖のような人間だと考えています。(私は人を何かの光景やものに例えて解釈することが好きです)
音も波も立てず、いつも静かに息をひそめてそこに在る。
川から流れ込んできた水は私を経由して海へと旅立っていく。遙か北の国からやって来た渡り鳥は私のほとりでひとときだけ羽を休め、やがて故郷へ帰っていく。降り注ぐ雨は私の一部となってたゆたい、やがて陽光の中で空へと帰っていくか、海へと旅立っていく。……私はそれを、ただ、見守ることしかできない。
良く言うと、私は置かれた場所で咲くということが得意な人間でした。悪く言えば、逃げる勇気が無く堪え忍ぶことしか出来ない腰抜けでした。もっと言ってやれば、プライドばかり高く他人より劣った部分を絶対に見せたくなかった故に「逃げる」という手段すら知らなかった、頭でっかちな馬鹿でした。美しく気高くありたかった。そして誰からも愛されたかった。外面ばかり整えてきたから、内側はいつも醜く歪んでいた。顔に付いている二つの目玉は何も映さない綺麗な飾り物で、本当の目はいつもお腹のあたりからじっと世界を睨んでいた。
本当は逃げたかった。
「練習を一度もさぼったことがないから」というだけの理由で私のことが嫌いな人たちの先頭に立って部長になった時も、「成績が良いから」というだけの理由で私のことが嫌いな人たちばかりの生徒会に入った時も、「私のことを好きになってくれたから」という理由だけで男の子と恋人ごっこをしていた時も、「私がいなければばらばらになってしまう」という自意識過剰な責任感のままに家族全員に愛想を振りまいている時も、あの時も、あの時も。ずっとずっと、私は逃げたかった。そのことに、当時は全く気づけなかった。
あれから何年経っただろう。
ふと目を覚ますと、私は、湖の底にいた。
藍色の闇の中、辺りを見渡した。——そこに広がっていた光景に、思わず息を呑んだ。
今までの全てが、完全な状態で、そこに在った。
死にたい、と願った数だけ水面を激しく揺らしながら投げ込まれた、腐臭に塗れたいきものの死骸(それは私の死骸かもしれない)の全てを、確かに私は捨てられないまま、忘れる事が出来ないまま、十年以上も大切に抱え続けていた。
それはいつしか、透明に透き通りきらきらと静かな輝きを放つ化石になっていました。
近づいて覗き込むと、自分の姿が映った。
あの頃と今を結ぶ自分の像は、幼いようで、ひどく大人びていた。
(あの頃の私は、こんな寂しい眼差しでいたのだろうか)
私は救いようのない馬鹿だった。けれど、自分を否定することは決してしたくなかった。要領の良い生き方とは無縁の人生だった。けれど、私は今まで生きてきた。置かれた場所で静かに、だけど深く根を張って、美しい化石を幾つも幾つも抱えながら、生きてきてしまった。
きっと私はこれからも下手くそに生きていくことだろう。些細なことですぐに死にたくなるほど絶望する癖に、「死ぬ」という避けられない定めが怖くて怖くてたまらず夜も眠れないまま。だけど、あの頃の自分を、過去を生きていた自分の全てを肯定してあげたい。だってこんな歪な人間を愛してくれるのは多分、私しかいない。
だから私は、湖なのです。
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ここは、湖の底。
日の光を受けて、辺りの景色を反射して、水面は鏡のように美しく煌めいていたことでしょう。けれど、一度水中に潜ってしまえば、醜い死骸ばかりが転がる、無惨な墓場が広がっています。微かに腐臭も漂っているかもしれません。
美しいと言ってくれる寛容な人もいれば、気持ち悪いと吐き捨てて去って行く人もいるでしょう。
こんな私のことを素敵な人間だと言ってくれる優しい方もいれば、無能な自分を美辞麗句を尽くして正当化しようとするだけの救いようもない屑だと指摘する方もいるでしょう。当たり前です。後者の意見は、私自身が誰よりも深く理解しているつもりです。私が未熟な人間なのは百も千も承知です。その上で、この文章を書いています。
腐りかけの死骸も、仄かに光る化石も、全てを糧にして私は生きたい。醜さも美しさも、気味の悪い不格好さも、頭上から淡く注ぐ日光も月光も、この孤独も、全て愛して抱えていきたい。生きていくのだ。
この『湖心』という作品は、大学生最後の年に、その覚悟と共に描いた作品です。
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ここまで読んで頂きありがとうございました。
そんな大層な覚悟はさておき、あわうみはこれからも楽しくお絵かきしていきたいです。よろしくお願いします!
恥ずかしくなったので次はもっと自己紹介らしい自己紹介をします。いつまでたっても恥ずかしいやつめ。