友人を取捨選択する
昨日、約1年ぶりに、友人さっちゃん(仮名)と再会。
ほんまはもっと早く会う予定だったのですが、ご時世上お互い声をかけることができずにいました。
さっちゃんとは友人になって10年くらいたちます。
彼女と盛り上がるのは映画と本です。
お互いのおすすめの映画、ドラマ作品についてプレゼンしました。それでこのビリヤニの辛さも忘れられるほど、集中しました。あー辛かった。でも旨かった。
もちろん、学生時代の事、前の共通の職場、この1年で挑戦してきたことなど話しました。あまり過去の話は盛り上がりません。
この1年で挑戦してきた事について話した時、さっちゃんのあまり深入りしてほしくないポイントを私は察知できました。彼女も私に対してそうでした。ここまでは話したい、聞いてほしい、さっちゃんの意見を聞きたいけど、ここからはまだ話す準備ができない。そんな事ありませんか?
それをわかってくれるさっちゃんは、安心して話せるんです。この距離感が私は好きで、彼女とまた会いたいと思えるのです。さっちゃんもそれを嫌がらないんですよね。
確かに、ものすごく深く話す友人も私にはいます。その人とはそれがいい距離感であり、また会いたいと思えるんです。
こんな言い方、よくないかもしれませんが、私は友人を取捨選択します。
私の人生に友人は必要です。家族とは別に話せる相手が必要なんです。
家族とは共有、共感できないことってみんなあると思うんです。それを友人に話し、感情的にすっきりすると同時に、自分の考えていたことが明らかになることもありますし、話し終わったあと元気になります。
ただ、友人も私も、人間は少しずつ変わっていきます。合わなくなることもあります、そういう時は無駄に連絡を取らないようにします。
そうした方が、私の人生から、ひっかかりみたいなものがすっとなくなるからです。
取捨選択していると、無駄な人間関係がなくなり、ストレスも減り、人生がよりよくなっている気がします。
「嫌われる勇気」で人間の悩みは人間関係の悩みに集約されるとありました。めっちゃ共感です。
聖書にもこうあります。箴言 知恵の泉27:19
顔を映すのは鏡ですが、人のほんとうの心は、その人がどんな友を選ぶかでわかります。