亡くなった祖母に宛ててGmailを送った話
2年前、祖母が亡くなった。
祖母は90歳で父と母に見守られながら安らかに眠るように息を引き取った。
大往生で苦しむことなく迎えた最期、家族みんな「ばあちゃん、がんばったね」と涙しながらも静かに微笑んでしまうくらい、穏やかで幸せな逝き方だったと思う。
しかし、わたしは祖母のことを思うにつけ、後悔することをやめられずにいた。
「なんでもっと会いに行かなかったんだろう。」
亡くなる1ヶ月前、家族は会いに行ったのに、わたしは風邪をひいて熱を出してしまったため、祖母のいた老人ホームに面会に行けなかった。
その時は「ばあちゃんに風邪をうつすとまずいから」とわたしも自分自身納得していたのに、亡くなってからは後悔するようになった。
あのときわたしが風邪をひかなければ最後にばあちゃんに会えたのに、
風邪が治ったらすぐに会いに行けばよかったのに、
どうしてわたしはそんな簡単なこともしなかったんだろう。
こんな風に自分を、過去の自分を責めながら生きると辛いものだ。
こうしていつしかわたしは祖母に後ろめたい気持ちをもつようになった。
日常生活をおくる中で、ふと祖母のことを思い出すと涙が出てきてしまう。
それはただ単に祖母を恋しいと思うだけでなく、
「ごめんね、ばあちゃん」と詫びるようなものだったかもしれないと気づいたのはつい最近のことだった。
それと同時に、
「そんなこと思っても仕方ない。第一、ばあちゃんはそんな事気にしないよ。」
そんな言葉が聞こえてくる気がした。
そうだ。
祖母は晩年こそ病気をしたり歳をとったりして静かになっていたが、
本来は底抜けに明るく陽気で、たくましく、誰よりも優しい人だった。
そして孫のわたしを正しく甘やかし、本当に可愛がってくれた。
会うたびに美人だね、足が長い(どう見ても普通なのに!)、頭がいいね、とか何でも褒めてくれて、いつも「自慢の孫だよ」と言ってくれた。
そんなばあちゃんがわたしのことを怒るわけがない。
そしてわたし自身が自分を責めることも良しとしないだろう。
そこで、わたしがとった行動が、このnoteの題名のとおりである。
自分の気持ちをGmailに書いて、祖母宛てに送ったのだ。
もちろん、昭和初期生まれの祖母がGmailアカウントを持っていたわけではないので(多分)、ただ自分のメールアドレスに送っただけだけれども。
なんでメールだったかというと、手紙や日記だと書いたものを無くしたり、誰かに見られるというリスクがあるが、メールならわたししか見られないから安心、ただそれだけだ。
いざ祖母あてにメールを書き出してみると、思いがワッと溢れて、涙をポロポロ流しながらでないと書けなかった。
祖母と昔ふたりで散歩していたとき、道端で野良犬にでくわして怯えていたら「ばあちゃんが蹴飛ばしてあげるから大丈夫」と言ってくれて、ばあちゃんは誰よりも強い!と確信したこと
母が病気で入院したとき寂しくて心細くて一緒に寝てくれたとき抱きしめてくれたこと
会うと必ず、「ばあちゃんの自慢の孫だよ」と言ってくじけそうな時でも自信をくれたこと
祖母との思い出は、どれを思い出しても優しさが詰まっていた。
メールを書き終わると、涙もすっかり乾いて、さっぱりとしたいい気分になっていることに気づいた。
「もう泣かないで、笑って」
そう祖母に言われた気がした。
メールの最後に「会いたい」と書いたけど、
もういつでも会える気がしている。
祖母はわたしの記憶の中でずっと生きているから。
いつでもあの笑顔とふくよかな手と優しい声を思い出せる。