子どもたちへのまなざしに対する違和感
「社会的自立」や「自分を律する自律」って何なん?
不登校が問題視される中、特に不登校の元当事者や障害を持つ人が「成功」することが話題になり、それがビジネスとしても広がっています。それらが悪いことだとは思いませんし、よかったね👍とは思うものの、モヤモヤした気持ちにはなります。
「成功」って何なの?
きっとほとんどの人が経済的な自立や社会的な地位を得ることが成功だと考えますよね。現代社会では、一つの「成功」の形にこだわりすぎて、他の価値や成功の方法が見えにくくなっています。まあその価値って言ってしまえば『お金』に纏わってる事なんですよね。
でも成功や価値にはもっとたくさんの形があるはず。
社会が「成功」や「自立」を強調する時って、
かなりのプレッシャーを子どもやその保護者たちに与えています。子どもたちや支援が必要な人たちが、社会の期待に応えなければならないというこの圧力。
「いや、応えなくてもいいよ〜」というのは、例えば音楽会で障がいのある子や学校に行き渋ってあまり練習が出来ず、演奏に不安を抱えている子どもたちに対して、『出来なくてもいいよ、そこにいるだけで参加したって事だからね』と、子どもたちのプライドを踏み躙っている事すら気付かない浅はかな教育関係者の言葉の様なもの。
このプレッシャーは、『個々のペース』や、その人の『在り方、やり方』を尊重することをとっても難しくしています。
もっと言えば、「成功」や「自立」という言葉が繰り返されると、他の生き方や選択肢が軽視されることに。社会的に「目立つ成功」を追い求めることが期待されるし、その結果、異なる価値観や生き方が認められなくなる。一種の洗脳?呪い?なんて思ってしまう。
「〇〇しなければならない」という考えって、自己価値が外部の評価に依存してしてるんですよね。それって「自分はどう生きたいのか」から逸れてしまうし、その人自身の自己成長や自己理解を妨げることになる。
結局のところ、みんなが同じような「成功」を追い求める必要あるの?って話で、それぞれのペースで、それぞれの方法で成長し、そこから価値を見つけることが大切なんじゃないのかなと思うわけです。
インクルーシブだの多様性だの言葉ばかりが一人歩きしてるけど、社会が本当にもっと多様な価値観を尊重するには、まずは国家や社会の価値観の枠から一旦外れ、一人一人が自分らしい生き方をする必要があります。その上で、自然に社会がそれに応じて変わっていくことが望ましいんじゃ???だって国家は結局のところ1人1人の集合体なんだから。
成功や自立の一元的な基準に縛られることなく、全ての人が自分自身を受け入れ、尊重される社会。
それは、私たち一人一人が自分のペースで成長し、価値を見出すこと、それを自分が許し、そして許される社会…多様な生き方が共存できる社会。そんな社会の実現に向けて、私たちができることはなんだろう?カオスの中から何が生まれるのかをわくわくしながら見つめています。
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