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日本の学校に潜むDV的思考と群衆心理

追記
【本来「和」の精神とは、個々を尊重し、違いを受け入れながら共に生きることだ。

その本質が、現在の教育現場でどれほど実現されているのか…この問いは、教育者だけでなく、社会全体が向き合うべきものだと思う。

この映画の評価や予告編からは、興行収入が入る事への葛藤があったが、観てよかった。大人たちには観る義務があるとすら思う。

何故日本で、世界で、この視点が再評価されるのか、議論を生むための材料を得られる。互いを握りしめるのではなく、結び合うために。

深い洞察力を持つ方々がこの映画を観て、その矛盾や課題を言語化し、広く社会に問いかけることこそ、次の時代をつくる鍵になるのだと思う。

「教育とは何か」「子どもたちにとって本当に必要なものは何か」を考えるための材料として、どうか使命感を胸に、映画館の扉を開いてください。それは、きっと今後の社会を展開させる大きな一歩となるでしょう。】

規律を重視する教育の裏に隠れたリスクに憂う。


日本の教育の、規律や集団行動が素晴らしい、とその美徳が強調される言説をしばしば見聞きするようになりました。

この「規律重視」の教育が、長い目で見て子どもの人生に与える影響について知っている人は少ないかもしれません。

学校で行われている同調圧力に寄与する指導方法、教師と生徒、さらには生徒同士の関係の中で、子どもがどれだけストレスを感じているのかについて考えることがおざなりにされています。

例えば、叱責後に見せる優しい言葉がけ。これは実は支配的な形で行われ、DV(ドメスティック・バイオレンス)に似た問題を引き起こすことがあります。

学校での同調圧力と見張り合い


• 同調圧力と集団の力
日本の学校では、集団で行動することが重視され、みんなと一緒にいることが「良い」とされています。でもこの「みんなと一緒でなければならない」という圧力は、個人の自由や自己表現を抑え込んでしまいます。先生や生徒同士が無意識のうちにお互いを監視し、少しでも「違うこと」をすると知らず知らずのうちに不安やストレスを感じるのです。

周りと同じように行動しないと、友達から「なんで?」と聞かれたり、先生に注意されたりします。このように同調圧力は、個性を大切にすることを許さず、誰もが同じでなければならないという考え方を強化しています。

• 教師同士の見張り合い
教師間でも、同じように「みんなと一緒でなければならない」という圧力がかかることがあります。教師が「こうしなければならない」と感じると、他の教師に対してもその考えを押し付けます。結果として、教師同士が互いに監視し合い、個々の教育方針が尊重されません。このような状況では、教師が自分自身の教育スタイルを自由に表現できず、子どもにとっても安定した指導を受けにくくなります。

叱責後のダブルバインドと混乱

• ダブルバインドとは?
ダブルバインドは、矛盾したメッセージや要求が同時に与えられることで、受け取った人がどちらを選んでも間違いだと感じる状態を指します。教育現場では、教師が「もっと頑張りなさい」と叱責し子どもを傷付け追い詰めておいて、後になって「でも、頑張っているからあなたは大丈夫だよ」と優しく言葉をかけることがあります。子どもはこの矛盾に混乱し、自分がどうすれば良いのかわからなくなり、教師にすがるようになります。
例えば、テストの点数が悪かったときに、教師が「どうしてもっと勉強しなかったの?」と叱った後、「でも、がんばったんだから大丈夫だよ」と言う。子どもは、「私は本当に頑張ったのか?」、「どうしてこんなに叱られたんだろう?」と混乱します。このダブルバインドは、子どもの自信を失わせ、自己評価を低くし、依存的な思考になる原因となります。
• DVに似た問題
さらに、叱責後に見せる優しい言葉がけは、支配的な行動として機能します。これは家庭内でのDV(ドメスティック・バイオレンス)に似たパターンです。叱った後に優しくなることで、子どもは「自分が悪いことをしたから叱られたけれど、今は許された」と感じ、矛盾した感情に振り回されます。このような「愛情と支配」の繰り返しは、子どもにとって非常に混乱を招き、心理的な負担をかけ続けることになります。

子どもの権利と教育のバランス

• 子どもの権利条約とは?
子どもには、意見を自由に表明する権利、教育を受ける権利、そして自分の発達に合った教育を受ける権利があります。これを保障するために、国連は「子どもの権利条約」を定めています。しかし、日本の教育現場では、まだまだ規律や集団行動が最優先され、子どもの個性や意見は後回しにされます。
教育は、子どもが自分の考えを表現し、成長するための重要な場であるべきですが、規律重視の教育ではその権利が十分に守られません。

• 個性を尊重した教育の必要性
日本の教育現場は、子どもも先生も個性や意見を尊重すること、されることがまだまだ進んでいません。本来は、子どもが自由に自己表現できる環境を作ることが、健全な成長には欠かせません。規律や集団行動を重視する考えがあるのも理解出来ますが、それよりも選択肢がないことの方が問題ではないか。子どもの個性を尊重し、発達段階にあった教育を提供することの方が重要なのではないかと思うのです。

とある映画監督と教育学者の記事の矛盾


• 規律重視の礼賛と教育の実態
その監督は、自身が日本の公立学校出身であることを誇りに思うと話しておられましたが、実際小学校のみで中高はインターナショナルスクール出身…つまり経済的に恵まれた家庭であったことが偏った視点になっている可能性が想像されます。監督は日本型教育の規律の素晴らしさを語り、高く評価する姿勢を示していますが、学校が子どもの自由や創造性を制限する側面があることには触れていません。また、対談で教授が日本の教育の同調圧力を疑問視しているかと思いきや、実は規律性を再評価していて、教育現場における問題を深く掘り下げることがない姿勢に驚きました。

教育が本来持つべき「個性の尊重」や「子どもの発達段階に応じた教育」を軽視し、規律や集団行動に過剰に依存することは、子どもに与える負の影響を見過ごすのになるのではないでしょうか。規律を重んじるという、言葉を選ばずに言うならば『軍隊教育』は、子どもが自己表現や思考の自由を奪われる原因となり、最終的には社会で必要とされる多様な価値観や考え方を受け入れにくくなってしまうのです。

規律と自由のバランスを考える


こうして日本の教育現場では、規律や集団行動が最重要視される一方で、子どもが自由に自己表現できる環境がまだまだ整っていません。同調圧力やダブルバインド、そして支配的な行動が子どもに与える影響について再考する必要があり、『宿題をなくせ運動』よりも前に、研究者を含めた教育関係者の責務だと思うのです。監督や教授が主張する教育の「規律重視」の側面が、実際には子どもの発達やウェルビーングを妨げる事、そして教育現場における改革が必要だという事を発信したい。日本の教育がそんなに素晴らしいのなら何故こんなに若者の自己肯定感は低いのか、若者の自殺率は増え続けているのか、教師不足なのか、不登校が増えているのか、子どもは大人になる事に希望を持てないのか。答えていただきたい。

学校は、社会は、子どもが自分の気持ちを蔑ろにする事なく、彼らの個性を大切にしながら、仲間と共に成長できる場所であるべきです。教育の現場で、子ども一人ひとりが安心して自己表現(動的静的)できるような教育改革、社会改革が求められていると思うのは私だけなのでしょうか。

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