私がおばさんになって地球の事考えたら
昨秋50になった。竹内まりやの"人生の扉"が骨の髄まで染み入る年齢に、森高千里の"私がオバさんになっても"が現実化した年齢に。
もう自分のこの世での残り時間が生きてきた年数より少なくなった。
あっという間の出来事。きっと誰もがそう感じる様に例外なく私もそう感じている。
だから子どもたちを眺めていて、後どのくらいこの愛おしい子たちと何気ない日常を過ごせる時間が私に与えられているんだろう…この子たちや後世の子どもたちが安心して暮らせる健やかな社会ってどうしたら作れるんだろう…そんな事がよく頭に浮かぶ。
こんな人生になるなんてこんな時代を迎えるなんて想像もしなかった。もし過去の自分が今まで自分が体験した事を前もってわかっていたら絶望していただろう…。
私たちが育った高度成長期は未来が明るかった。みんな何者かになれると信じていたからこそがむしゃらに学んだし働いていた。そんな時代、私は大学に復学するチャンスを失ったのと同時に専業主婦として家事育児する"だけ"の人生に突入した。
パートナーシップや子育ての人生で色んな事があった。辛かった出来事を解決したくて、藁をも掴む思いでその都度もがいて色んな事にアクセスして…まあどれもこれも結局何の解決にもならなかったけど、その過程のおかげで私自身の価値観がいつのまにかごろっと変わりつつある…状況は変わらないけどマインドセットみたいなものが大きく変わったからなのか、ただ単に欲望のベクトルが変わったからなのか。
これまで当たり前だと思っていた価値観が実はすごくちっぽけで浅はかな世界観の中でしか存在していなかったとか。大事にしたいものが実は半径5メートル以内にしかなかった事とか。同時に日本の津々浦々や世界にも同じ価値観を共有出来そうな友が存在していて繋がりが持てる事だとか…結局は壮大に聞こえるかもしれないけど地球全体が安心安全な場所であって欲しいって事なんやなぁ。
こんな事を言うと、"え?あんた誰?何者?""何者でもないお前に何が出来るの?"と冷笑する人たちがいるけど。別に何かどえらい事を成し遂げたいわけじゃないし、何者でもない私が地球の事考えててもええやん別に…毎日それなりに自分の出来る限りの行動してるわけやし…というか、何者でもない人たちこそが地球の平和考えなあかんのちゃうの?ちょっとは考えろよ…と内心思う。言っても不毛だから言わないけど。
私は私。他の人は変えられない。私は子どもたちと同じく地球を大切にしたいし、自分のことも愛し続けたい。
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