見出し画像

マッチングアプリで会ったことのない人を好きになった結果

「職場で出会いがないので始めました」

はっきりと顔を確認できない写真と、たった1文の自己紹介。普段なら即”左スワイプ”してしまうプロフィールだったが、どうしてだか彼のことが気になって親指を右に滑らせた。

すぐに彼からメッセージが来て3報復ほどのやりとりを交わしたが、それは楽しいキャッチボールではなく彼が力強く投げたボールをただ適当に弾き返すだけの作業だった。とても意気投合しているとは思えない状態で、彼はLINEでの通話を提案してきた。

マッチングアプリ自体に通話機能があるにも関わらず、初っ端から連絡先を交換しようとする姿勢には不快感しか感じない。しかし、彼はLINEでの通話を強く望んだ。しぶしぶ連絡先を交換すると、さっそく着信音が鳴る。第一声、私は不機嫌な声を出す。

「もしもし……」

「出てくれてありがとう!何してたん?」

「ソファでスマホ見てました」

「そうなんや。仕事は何してるん?」

「ライター、やってます」

「プロフィール写真の髪色はいつ染めたん?」

「先月です」

「今日はこのあと何するん?」

「……別に」

私のテンションなどお構いなしにグイグイと会話のハンドルを切る彼からの質問攻めに、思わず私の中のエリカ様が反応してしまった。

「なんでそんなに斜に構えるん?でも俺、人の心開くの得意やから平気やで」

その胡散臭い言葉を聞いて、私はすでに固く閉ざした心にさらにパスワードロックまでかけた。

しかし、驚いたことにその後5分ほどの会話で、彼は私の心を見事に開いてみせた。

もちろん、誕生日下4桁をパスワードに設定していたわけではない。マッチングアプリを始めてから数え切れないほどの男性とやりとりしてきたが、これほど巧みに会話だけで人の心を開かせる男性は初めてだった。

それからというもの、彼との通話は時間を忘れるほどに楽しかった。お互いを知って数十分とは思えないほど心が通じ合い、話題は途切れず気が付けば3時間ほどの時間が経っていた。

「今日はありがとう、また連絡するわ。ジェーンが心開いてくれたの嬉しいで」

私もお礼を告げて、名残惜しさを感じながらも電話を切る。不思議なこともあるものだと、いつも斜に構え過ぎていることを少し反省した。

その翌日も、その翌日も、彼は毎日決まった時間に電話をかけてきてくれた。私が電話に出れないときがあっても、時間をずらしてまたかけ直してくれる。毎日朝まで話して寝不足になったが、翌日の憂鬱な仕事も鼻歌まじりでこなせた。

これが、会ったことすらない人に恋をするという初めての経験であった。

数日後、私達はお互いの家の中間地点にある駅のカフェで会うことになった。コーヒーにこだわった洒落たカフェで、彼の店を選ぶセンスのよさにますます胸が高鳴る。当日、駅から店に向かうときに、はやる気持ちが抑えられず不安定なハイヒールで少し走ったのを覚えている。

その後のことはもうとても恥ずかしくてここには書けないが、彼との交際がスタートしたことは容易に想像できるだろう。

残念ながらこれを書いている今、彼とは疎遠になってしまった。喧嘩別れをしたわけではないが、どうやらそのときは”タイミング”が違ったらしい。

あれから数年経った今も、ふと彼のことを思い出すときがある。どこかの商品にある0.01mmほどの極薄の言葉でしか表現できないが、本当に大切な時間であった。

また新たな出会いを求めて、私はマッチングアプリを続けている。あのときのような出会いをもう1度求めるのは難しいかもしれないが、それでもわずかな可能性を信じてしまう。

あのときも、始まりは気の乗らないメッセージだった。出会いはどこに転がっているかわからない。あと少しだけ、あと少しだけ期待してみてもいいだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?