スポーツ観戦を口実に家に招く男性にろくなやつはいない説
「私、今日は早く帰って、家でゆっくりワールドカップ見ようかな……」
渋谷公園通りからほど近いビルの21階にあるレストラン。キャンドルが置かれたテーブル席からは、大きな調理台とピザ窯が並ぶ洒落た厨房が見える。
周りを見渡せば、女子会やデートを楽しむ20歳前後と思しき若者たちばかり。記念日を祝うためのケーキが次々と運ばれバースデーソングが鳴り止まない店内で、マッチングアプリで出会った初対面のアラサー2人が沈黙する地獄絵図が完成した。
正直、会う前のメッセージや通話の段階から彼にはかなりの違和感を覚えていた。しかし、調子のいいときに発動する”実際に会ってみないとわからない精神”に流され、ばっちりメイクをキメて家を出た結果がこれである。
悲しいのか嬉しいのか、直感の多くが当たるもので実際に会ってみてもやはりその違和感は健在だった。
それでもなにか話さなければと口を開けば開くほど彼との会話は平行線をたどり、パラレルワールドに生きているのかと疑いたくなるほど噛み合わない地獄のような会話が続く。
そんななか、一刻も早く解散したい思いから出た言葉がそれだった。
「そっか、今日サッカーあるもんね!オーケーオーケー!俺もこの子の充電無くなりそうだし!」
無駄に発音の良いオーケーの連呼とスマホのことを”この子”と呼ぶ彼に再び違和感を覚えながらも、私の帰宅を承諾してくれたことに感謝しようとした。しかし彼の言葉には続きがあった。
「じゃあ、スポーツバーで一緒に応援する?」
そうか、ここは東京渋谷。日本代表のユニフォームを着たサッカーファンに扮したナンパ師たちが集いそうな、スポーツバーばかりが立ち並ぶ歓楽街であった。
しかし、キックオフまではまだ2時間以上。ディズニーのショーではあるまい、今から待機するには少し早すぎやしないか。だからといって別の2軒目に行くとなると、相手により一層気があると期待をさせてしまうかもしれない。
数秒の間にさまざまな考えが頭を巡ったが、自称マッチングアプリ玄人の経験上ここでしっかりと断っておくのが吉。眉を少し下げ申し訳無さそうに笑いながら、我ながら完璧な表情で断りの言葉を切り出す。
「今日、実は仕事もまだ残ってるし、やっぱり帰ろうかな」
すると彼は大きな目でまっすぐと私を見つめて口を開いた。
「じゃあ、俺の家でサッカー見るか、ジェーンの家でサッカー見るかの2択だね」
いや帰らせて?
とはさすがの私も言えるはずがなく言葉に詰まっていると、すかさず彼は私の顔を覗き込むようにしながら再度口を開く。
「悩むよね〜!究極の2択だもんね!」
おっしゃるとおり、究極の”地獄”の2択ではある。まさか数分前に過ごしたパラレルワールド以上の地獄がここにあったとは。
「でもごめん、今日は帰る」
とてつもない眼圧に耐えながら、強い意志のもときっぱりと断った私。この意思表示力が職場の上司相手でも発揮できればいいのだが。
「そっか、オーケーオーケー!また飲もうね!」
意外にもすんなり受け入れてくれた彼に感謝しつつ、オーケーオーケーが口癖なのか、などとどうでもいいことを考えながら無事帰路につく。
帰宅後、シャワーを浴びて家でゆっくりと楽しむワールドカップは最高であった。しかも強敵といわれていた相手国に勝利するというサプライズ付き。この喜びを誰かと分かち合い、ハイタッチのひとつでも交わしてやりたい気分になったのは事実だが、あのパラレルワールドを思うとやはり帰宅したのは間違いではなかった。
時間はすっかり0時をまわり、ふとスマホを見ると待ち受け画面に映し出されたのは彼からのサッカーの感想と見せかけた次の誘いのメッセージ。
私はその画面を静かに閉じて、ふかふかの布団に潜り込んだ。
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