会社に面白いくらい噛み合わない後輩?というか同僚?がいる。 彼女とは2つ前の職場でも一緒だったので知り合い歴は長い。多分だけれど私より10歳くらい若い。多分…というのはもう何度も年齢を聞いた気がするのだけど、あまり他人の年齢に興味のない私はすぐに忘れてしまう。そしてこれまで何度も聞きすぎてしまってもう聞けない。 そんな彼女は旦那と子供(10歳男、7歳女)の四人家族。 旦那さんも2つ前の職場で一緒だったので、知り合いといえば、知り合い。 私はそもそも結婚を望んでいない
青山美智子の『月の立つ林で』は、見えずとも、確かに存在しているものに気づかせてくれる連作短編集だ。それぞれの章では異なる主人公が登場する。彼らは、何かしら上手くいかない思いを抱え、ときに孤独を感じながらも懸命に生きている。 第一章は求職中の元看護師が自分は誰のために働いていたのか悩み、第二章では夢を諦めきれないピン芸人が周囲と自分を比較しては葛藤する。第三章ではバイク整備士の父が娘の結婚を巡って葛藤し、第四章では目標を見失った高校生が母との不和や孤独を抱える。第五章では
家までどうやって帰ってきたのか全く覚えていない。 私に帰巣本能を与えた神には感謝しかない。神のご加護によって玄関まではなんとかたどり着いた、しかしそれもここまでだった。玄関の上がり口で力尽き、突っ伏すように寝てしまった。目が醒めると体のあらゆる所が痛い。のっそりと起き上がると目の前の姿見に映る恐ろしい現実が目に飛び込んできた。メイクを落とさなかった肌には妙な脂が浮いて、枕がわりにした買ったばかりのライトグレージャケットには、見事に眉毛とマスカラが転写されていた。 シ
母が私を娘だと認識していられる時間に限りが見えてきた。 終わりが見えない辛さと、終わることの恐怖が隣り合わせの毎日。 仕事が忙しい時、楽しみにしていた何かが母の体調次第で次々と潰れていく時、ついキツイ言葉を発してしまう。そんな私の意地悪な物言いも母はそう長くは覚えていない。反しては私は母が瞬間的に見せる悲しい顔をなかなか忘れられない。 1日の終わりにはこの限りの見えてきた「今」がどれだけ大切なのかを思い、明日こそはお互いに気持ちよく、心穏やかに1日を過ごそうと心に決
引っ越しすること13回、今は14軒目の家に住んでいる。 その中で唯一5軒目の家には庭があった。と言ってもかろうじて洗濯物が干せる程度のいわゆる「猫の額ほど」というやつだった。そもそも塀のような囲いがあったわけでもないから、今考えると「庭」だったのかはかなり微妙なのだけれど。 今は亡き父は夢追い人だった。脱サラをして手を出した商売は片手ではおさまらないほどであった。と言っても父は一攫千金を狙うギャンブル的な発想で商売を選んだことは一度もなく、手を出したものはどれも平凡な
先日、書道教室で半年に渡り取り組んだ蘭亭の全臨を仕上げて若干の燃え尽き症候群。自分が思った以上に充実した時間だったみたいだ。 蘭亭の余韻から抜けきらないままに新しい課題を開始することに。 臨書を開始して九成宮醴泉銘→雁塔聖教序→蘭亭序と進み、今回はついに日本人書家の登場! 課題は空海 の『風信帖』。書体としては初の草書が混ざる行草体。正直なところ、骨書きがないと何が何やらわからないところだらけ。 さて、新しい課題になるとまずは先生に課題にまつわるお話をきく。書道教室
2023年度の課題は2023年度のうちに成仏(?)させよう。 通信制大学で「TR 短編小説を書く」の課題に挑戦した。挑戦といっても、必修科目だったので挑戦せざるを得なかったという方が正しいのだけれど。他の科目や、参加させていただいている文芸実践会でも小説は書いたものの(その時の様子は👉こちら)、冒頭部分のみだったので最後まで書いた小説はこの「TR 短編小説を書く」が初めてだった。 評価は「C」。お情けで合格させてもらった感じではあるけれど、先生の指摘はどれもうなづくも
「 一つ磨けば過去の過ちをぬぐい去り、 二つ磨けば現在に輝きを与えます。 三つ磨けば未来の幸せが一つ増えることでしょう。」 通っていた高校では毎学期末に全校生徒で大掃除をする慣わしがあった。 大掃除の前には放送部により各クラスの割り振りが発表になり、最後にお決まりの「三つ」が読み上げられる。すると学生は一斉に各所に散らばり、教室、廊下、窓、床、椅子、机、手洗いの蛇口から階段の手すり、花瓶….. とにかくありとあらゆるものを一斉に磨
ここ何十年もの間、仕事でもプライベートでも「求められている役割」として考え、決断することがほとんどだった。そんな私にとって、何者でもない「私」がどう感じるのかを見つめる行為は思った以上に大変なことだった。 何をどうしたら良いかわからず、2023年はとにかく心動くものを見過ごさないようにしてみた。そして、できるだけ「後先考えずにやってみる」を心がけた。 すると不思議と「やりたいこと」が見えてきて、「やってみよう」と思え、さらには「チャンス」も目の前に現れた。 仕
新体制での船出は困難なものだった。10年以上の在任期間があった前社長を慕う保守派の社員は社内に影響力のある役職者に多かった。しかし、何よりも業界のことを全く知らない社長と仕事上での共通言語が少なすぎてビジネスコミュニケーションが取れないのだ。 ところが社長の本気が社員に伝わるまでにはそこまで時間は掛からなかった。「寝食を忘れて働く」を辞書で引いたら、「パーカー社長の就任から3ヶ月間のこと」と記載されているのではないかというくらいの働きぶりだった。社員全員と1on 1を行い
2024年2月末日、勤めている会社の社長が退任した。 シンプルに「さみしい」と思った。 社長交代なんてそんなに珍しい話でもないし、これまで属してきた企業でも経験をしてきた。経営陣の交代に「不安」という気持ちを抱いたことはあったけれど、「さみしい」なんて思ったことはこれまで一度もなかった。そんな自分の心の動きには戸惑いと驚きと、なんとなく嬉しさがあった。 2020年11月、今の会社に誘われる形で転職をした。ようや
小学校2年生の秋、私は神の手を獲得した!(と思った) 小学校の頃に通っていた塾には、ドリルタイムというのがあった。塾で採用されていた教科書というか参考書の後ろについているドリル問題1ページを3分で解いていくというもの。 よくあるのは先生の合図で一斉にスタートし、終わりも一斉ににというパターン。ところがその塾では自分のタイミングで砂時計をひっくり返してスタートさせ、終わりも自分で管理する。次のページにいくインターバルも自分で決めるというユニークな方法を採用していた。先生
先日、「仕事ができないのはいい年して結婚もせず、責任を負うことを知らないからだ」と言われた。 ちょっと前(と言っても20年くらい前?)まではこんなことはちょくちょくあって、それほどびっくりする事でもなかった。しかし、時代は令和になり、ハラスメントという言葉が根付いてはや10年以上。まさかこのご時世にどストレートに言われるとは思わなかった。 もちろん、この発言が許されるということではないし、仕事ができないのは私の問題であって未婚や既婚ということは一切関係ない。 「仕事が
今日は姉に誘われて、春風亭小朝プロデュース 新春寄席に行ってきた。 ライブならではの、そこまで言うか!言っていいのか!というギリギリの攻めな笑いに会場は大盛り上がり。手を叩いて大口開けて、涙まで流して笑ったのはいつぶりだろうか? コンプライアンスって難しい。 世の中には一人も傷つかないなんてことはなくて、どんなに配慮を尽くした言葉を発しても、聞き手のバックグランドは聞き手の数だけ存在するわけで。笑える、笑えない線引きって結局は個人ですものね。 一方で、それを気
父は戦中・戦後の自分が経験した「幸運」を「顔向けができない」と表現した。 昭和20年8月15日、当時13歳だった父は玉音放送を大連の地で聞いた。 熊本で生まれた父は、小学校2年生の秋に大連に渡った。祖父母は熊本で小さな菓子屋を営んでいたところ、大連で日本人向けに店を出さないかという誘いに乗って海を渡ったのだという。 当時の大連は日本とは比にならないほど近代的で、小学校にはスケートリンクがあり子供たちは冬の体育の授業が楽しくて仕方なかったのだそうだ。日本で
眠りと覚醒のはざまの中で出てしまう、何とも間抜けな変な声。しかもなぜか低めていつもより響いてしまうアレはどうにもならないのかしら。 私の授業は、昼食直後の13時20分から始まる2コマでした。誰がどう考えても眠気のピークの時間。自分の学生時代を思い出しても、そして今現在も午後2時前後はピークに眠い。 聞いているだけでは眠くなるので、適度に発言を求めたり前後左右で話し合ってもらう時間を設けたりはするものの、それなりにレクチャー時間はあるのでそこはやはり眠い。ただ、可愛い