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エセ完璧主義
自分は完璧主義ではないと思っていた。
もしかしたらそうなのかもと思ったのは大学受験の時。わたしの高校はいわゆる自称進学校で入学時から受験のことを意識させられていた。
そしていつだったか合格体験記ならぬ不合格体験記を先輩から聞く機会があった。たぶん。
今思うとなんて恐ろしいことするんだと思いつつ。
当時はただ眠らないようにと思いながら話を聞いていた。
そして聞いた言葉
「自分は変に完璧主義で、それが失敗の原因だと振り返って思った。」
え?
完璧主義ってすごいことなのに、勉強もちゃんとして予習復習ばっちりなんでしょ?
だらけちゃうわたしとは全く違うのにそれが失敗の原因?
そこからは目が覚めて興味深く聞いていた。
先輩の話によると、完璧な計画いわば理想的な計画を立てるまではよいけれどできなくて嫌になってしまった。完璧だけど、自分が実際にできる配分とはかけ離れていた。と。
これわたしのことじゃん。
と思った。
計画を立てる時はワクワクして立てるけど、途中で計画がずれだすともうポイッて。
結局なし崩しになって、期限間近で駆け込みでやる。それで間に合うのは中学まで。高校からは無謀で答えを移したこともあった。
一見、完璧主義とは程遠いと思っていたわたし。
けどある意味そうだったんだ。悪い意味で。
今はその“完璧主義”を脱却し、“エセ完璧主義”になれたと思っている。
“エセ完璧主義”とは
一般的にみたら完璧でなくとも自分なりの完璧を自分の調子に応じて目指していく主義。
例えば、
歯磨きはフロスを通して歯を5分くらいかけて
磨く流れが完璧。
ドライヤーはタオルドライして、頭頂から毛先へ向かって温風・冷風で撫で下ろすのが完璧。
などなど言ってしまえばマイルール。
これに囚われてしまい、全て面倒になって、
疲れた日や帰りが遅かった日は翌日に丸投げしてしまうことが多々あった。
だけど今は、
今日は疲れてるからフロス無しでとりあえず歯を適当に磨く。髪の毛も温風でとりあえずガシャガシャ乾かす。
ができるようになった。
これは意外とわたしにとって大きな変化である。
翌日が全然違う。
面倒になって後回したことをこなす朝は辛い。
その行為+昨日の自堕落な自分への罪悪感に苛まれて苦しさ100倍。
完璧でなくてもやってあれば、昨日の自分頑張ったなーと褒めてあげられる。
意外と自覚ないだけでエセ完璧主義の人日本人は多いような気がします。
風呂キャンセルもさ、いろんな工程を考えるからだるくなっちゃうのであって、
湯船なし!シャンプーリンスも適当に!ボディーソープも適当に!流す!オッケー!!!
これができたら結構楽になる人いると思うんです。
わたしのように。
どこかにいる完璧主義の皆さま、
“エセ完璧主義”に移行しませんか?
自分で自分を縛らず、疲れたら気楽にやっていきましょうよ。
普段は自らの完璧を目指して頑張ってるんだから。
今日くらい、ね?
それぞれの1日おつかれさまでした。
わたしたちよく休みましょう。
おやすみなさい。