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ラブソファに、ひとり


“なぜか、ふたりがけだけが、ラブソファなのだ。
ひとりにも、三人にも愛はつかないのに、ふたりなら自動的に愛になる。”


「だってさ、あんな若造りしたおじさんがさ、カッコつけたスーツとか着てさ、
愛だのセックスだの語ってるんだよ、女の人になってみたり、イケイケな若い人のフリとかしてさ。
そんなのが好きなわけ。」


以前、大人の病棟に居たとき、高校生の女の子に、石田衣良がすき、と言ったら、言われた台詞だ。


捻くれ者の、人嫌いの猫のような子であった。

誰かに、自分に気づいて欲しくて、大暴れして、入院になったのに、
入院になったらなったで、誰も看護師も、医者も近づけようとしなかった。

無理矢理近づこうとした主治医には、逆毛を立てて、最初から散々な暴言を吐いて、
精神科医なりたての先生には、だいぶ堪えていたようであった。


基本口を聞かないが、鍵の掛かる部屋から、
外にある、本棚に行きたいときだけ、「本、探しにいく。」と口を開く。

本棚に行っても、声をかけても、口を聞かないけれど、

ゆっくり本くらい選びたいだろう、と思って、
自分も傍に座って、気になる本をパラパラ捲ったり、
本人から返事が無くとも、本人が選んだ本について「この人好きなの?」「私はこの人だと〇〇読んだことあるなあ、あのシーンがいいよねえ」と、ひとりごとのように話していた。
ずっと無視されていたが。


しかしある時、いつもと同じように本棚に行き、本を開いていたら、その本の作者を見て、
「あんた、石田衣良読むの?」と急に話しかけられた。

少しびっくりしつつ、
「うん、好き。村上春樹と並んで、1番くらいに。」と答えると、
言われたのが先程の台詞であった。


読んでいる本も女性作家ばかりだったし、男性嫌いな彼女の本心なのか、
それとも私の“好き”を否定して、どんな反応が返ってくるか、試したかったのかはわからない。


けれど、私も言われて、確かに、考えたこともなかった、と思いながら、
本を書いている作家の姿を想像したら、思わず、ふふっと、笑ってしまった。

「何笑ってんの」

「だってさ、おじさんが必死で愛だの恋だの、あーでもないこーでもないって頭をうんうん悩ませながら、沢山の言葉を捏ねくり回してるんでしょ?
なんだか、考えてみたら可愛いじゃない。
思春期の男の子が、一生懸命ラブレターの中身を考えてる時みたいで。」


彼女は、一瞬ポカン、とした顔をしたあと、
「あんた、変わってんね。」と笑っていた。



それ以降、彼女の隣に居るとき、居心地の悪さを感じることは無くなった。
相変わらず口数は少ないけれど、彼女から、“近づくな!”“絶対口をきくもんか!”というようなバリアが消えたようであった。



人嫌いの猫であったから、私がおすすめ、と伝えた本は絶対にその場では手に取らず、
別の日に読んでいたが。

私も、彼女が本を粗方読み終えてしまったであろうタイミングから、おすすめの本をこっそり持ってきて、病棟の本棚に足していた。
すると、いつもチラリとこちらを見ながら、新しく入った本を手に取って、部屋に持って帰るのであった。



一度だけ、あの子が子どもみたいに泣きじゃくっているのを見たことがある。

入院してから、一度も見舞いに来なかった母親から“あなたが服が足りないって言ってたから送ります。”
と荷物が届いた時だ。


一緒に袋を開くと、
そこには、フリーマーケットで買ったような、
くしゃくしゃで色褪せた、明らかに子供用のサイズの服が入っていた。

試着しなくても、身体の前に合わせてみなくたって、
私が一目見ただけだって、絶対に入らないとわかる大きさの。


家から厄介払いをされて、お金だけ渡されて一人暮らしをしてきた彼女が、

週に一回だけ様子を見にくる母を、焦がれて、憎んで、なんでほかの兄弟は愛されて自分だけ、と、本の中の世界にだけ縋ってきた彼女が、

ずっと見て欲しくてどんな方法でも気をひけなくて、駅前で暴れて倒れて、警察に連れて来られた彼女が、

やっと勇気を出して、「服が足りない」と母親に手紙を書いて、
そうしたら服を持って面会に来てくれるのではないかと、やっとちゃんと自分と向き合ってくれるのではないか、と、
必死で伝えた気持ちは、

キャッチしてもらえず、零れ落ちていった。


週に一回彼女の部屋を訪れるときも、
母親の目に、背の伸びた彼女の姿は、映っていたのだろうか。


「捨ててよ!こんなの捨ててよ!!」
と言いながら泣きじゃくる彼女に、

「捨てる、捨てるから。
私がちゃんと、捨てるから。」と、
悔しさで震えながら声をかけたのを覚えている。


普段なら、説得して家族からの手紙や贈り物は手元に残すように言うのであるが、
とてもそんな言葉は言えなかった。

許さなくていい、捨てていいのだ、
与えられない人なんて見なくていい、こっちから捨ててやろう、
君を見てくれる人はたくさんいるよ、
そんな気持ちでいっぱいであった。


それでも、親の愛を求めるのが人で、
もしかしたら、と期待に縋りたくなるのが性である。

結局は、親に与えられたアパートに帰って、元の生活に戻っていった。


彼女は今、どうしているだろうか。

彼女を見てくれる誰かがいる、と少しでも伝わって、
彼女がその誰かを探せているといい、


今でも、石田衣良を手に取るたびに、
彼女のことを必ず思い出すのだ。





私は、広い部屋が苦手だ。


ベッドと、デスクとその上にはテレビと一体型のデスクトップパソコンと、作業用の椅子、
お気に入りの本やら仕事用の書類と好きなものが少し飾れる小ぢんまりとしたラック、
小さなテーブルとそれ用の小さな椅子、

これだけの家具が収まる、小さな部屋がいい。


社会人になって、お金を少し持てるようになっても、
変わらず小さな部屋を選んで暮らしている。

基本的に、家であまり作業もしないし、
する事と言えば、壁にたくさん飾ったお気に入りの絵や写真を眺めたり、
ベッドの上でぬいぐるみに囲まれて、丸まるばかりである。


ホテルの部屋が偶然広かったりすると最悪で、
部屋に居てもずっとそわそわして、どことなく落ち着かないし、
ベッドに横になっても中々眠れない。

偶に友人の家に泊まりに行って、ソファやベッドの隅にぎゅうぎゅうになっても、丸まってぐっすり眠れるのに、
不思議なものである。


かと言って、多分、同じ誰かと同じ空間でずっと過ごすことにも、向いていないのだ。

1人で暗い部屋でお香を焚いてボーッとしていたい時もあるし、
ベッドに寝そべって絵本を読みたい時もあるし、
変な音楽を流してヘンテコに踊っていたいときもある。

それに近づきすぎると、
“抜けている”私にイライラさせてしまうか、
お互い駄目駄目でどうにもならないかの、どちらかだ。

人間には完璧にいい人も悪い人も居なくて、あるのは相性だけである、それぞれにいい距離感があって、お互いに心地よく居られる距離感を保つのが何より大事なのだ、
というのが、私のモットーである。


心理学者のエリクソンは、“心理社会的発達理論”の中で、成人期の課題を“親密性”として、
その課題を乗り越えると“愛”を得られると説いた。

ふたりでしか、愛にならないのであれば、
私は多分ずっと発達段階のピラミッドの真ん中ら辺に、座り続けるのであろう。




逆に、同い年の友人と、ふざけてよく、「お互いに35歳まで彼氏が出来なかったら、一回結婚してみよう」と話す。

日本の法律では、互いに愛し合う同性は籍を伴に出来ないが、
ふざけても異性なら結婚できるのだ。

ペアになった瞬間、そこに友情以上の“愛”は、
生まれるのだろうか?


私たちは、それでも2人きりで住む気はないので、老後は“メゾンドヒミコ”みたいな老人ホームを建てて、
みんなで暮らそうと話す。

私は絶対に、人を見送りたくないので、
なるべく、しぶとそうなのばかりを入居させようと思っている。

自分1人の部屋があって、食事は友人たちと食べて、
世話に来てくれるヘルパーさんの誰がカッコいいかだなんて、くだらない話だけをして過ごすのだ。

何年か一緒に暮らしたら、今まで以上に情も湧くであろう。
私が見送られるときは、きっと1人くらいは涙を流してくれると期待している。


こんな考えで楽観的に生きているのは、
多分、課題からの回避なのだろう。


いつか、年老いて、
“みんなピラミッドの頂上にいる、私も頂上に登りたかった”と、
悔いる時が来るのだろうか。





昨日、初めて子どもの歯を抜いた。


「ねえ!歯がグラグラして気持ち悪い!おやつのラムネと一緒に食べちゃいそう!」と、
泣きべそをかきながら、腕にしがみついてきた子に、口を開けさせて見てみると、
もうすぐにでも抜けそうな乳歯があった。

自分の手でも弄っていたので、そのまま抜けるんじゃない?と声をかけると、
「やだ!気になっておやつも晩ごはんも食べれないよ!抜いて!」と言う。

仕方ないので、処置室でグローブをつけて触ると、下に軽く引っ張るだけで、すぐに抜けた。

抜けた歯を見て「これでまたお姉さんになったね」と脱脂綿を噛みながら笑う彼女を見て、

私も、なんだかとても重大な成長の瞬間に立ち会ったような、そんな気がして、
すごく満たされた気持ちになったのだ。

夜寝る前に、絵本を読み聞かせている最中に、子どもが寝てしまったときも、
寝顔を見ながら同じような気持ちになって、電気を消す。


この愛おしい気持ちは、
愛でなかったら、
私が酔いたいだけの、まやかしなのだろうか。

けれども、例えまやかしでも、
この気持ちだけで、この為だけに、ずっと生きていける、と、
今は思ってしまうのだ。




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