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大人のはじまり

 ありのままを隠さずさらけ出せるような環境が欲しいとばかり思っていたが、それは見当違いだった。もうそう考えている時点で、他人頼みなのである。結局口ばかりで行動に移せないのは私のよくない所である。環境に文句を言ったところで、空は晴れないし、波は静かにならない。

 自分の内側を見せることが怖いのは当たり前のことである。私には自慢できるような才能も、一途に努力してきた経験も、これだけは負けないという自信もない。何もないと思っていた。それは今でも変わっていない。子供の頃に思い描いていた自分には未だなれていないし、この先なれそうな見込みもない。

 ただ、人生捨てたもんじゃないと思えるのは、自分を認めてくれる人がいるから。こんな私の側でも笑ってくれる人がいるから。それが1人だとしても2人だとしても、人数なんて関係ない。1人いれば十分だ。私はその人のために生きたいと思える。やっぱり人間は、誰かから必要とされたいという承認欲求が必要なのだと思う。

 そして、こうして前向きに考えられるのはずっとではないし、一時的なものであって心に余裕が失われた時にはもう助けにもならない。むしろ、そんな馬鹿げた綺麗事を並べている自分に腹が立つ。
でも、忘れてはいけない。

自分を思ってくれる人の気持ちを
無碍にしてはいけない

 自分をクズだと思うのは勝手だが、クズな自分を愛してくれている人たちの気持ちを考えられるだけの心の余裕はもっていなくてはならないと思う。そう、どんな時でも。

 自分のために何かを頑張ることに困難を感じたのなら、人に感謝されることをして誰かのために頑張ってみる。そして、確かめたらいいと思う。自分を必要としてくれている人がいることを。
 それはもう一歩間違えれば善意の押しつけなのかもしれないが、それでもいいから。誰かのために頑張れる人を私は最高にかっこいいと思っている。
そして私はそんなかっこいい人を目指している。
きっと子供の頃に描いていた将来の自分に1番近い人物像であると思う。

まだ"大人"は始まったばかりだ!

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