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椎名林檎「幸福論」と自閉症児育児
突然だが私には自閉症スペクトラムと知的障害を持った娘がいる。今年の4月で4歳になった。
育児とはそもそも困難の連続である。特に第一子は「人間を育てる」という経験のない分野を特にこれといった指標もないまま手探りでやっていかねばならんので誰もが壁にぶつかってズタボロになりながらやっているのではないか。無論私もそうだった。
でも「みんなやってるし」「こんなもんだよなぁ」と自分に言い聞かせて誤魔化しつつ何とかやるしかないのだ。みんなきっと同じようなことで困ってる。子供なんてそんなもんだ。そんな…
気づくと自分の息が絶え絶えになっている。
私の子供は「みんなきっと」の枠から少し外れた子だった。子供にはそれぞれ個性がある、というが、余りにも個性で済ませるには乱暴と言える特性。それは育てているうちにじわじわと実感を持って襲ってきた。
なんで喋らないの。
指ささないの。
食べないの。
眠らないの。
泣き止まないの。
1,2項目だけならまだしもここまで困りごとが多いのは予想外だった。
そして調べるうちに辿り着いたのはこの子の個性は障害と呼ぶに相応しいものだということだった。
字面にすると大層なことに思えるだろうが、障害があろうとなかろうと私の娘は私の娘でしかない。
そう言い聞かせた。
でも私は揺れてしまう。障害児を育てているという実感は日に日に強くなる。日々真綿で首を絞められるように息がしづらくなっていく。
娘はそんな私を見て無邪気に笑っている。
4歳になった今も会話はできず、文字通りオウムのように気に入ったフレーズを繰り返して私に話しかける。
最近は「頑張ったねぇ」が口癖である。
(でもこれは、いい口癖だ)
ふとあるとき椎名林檎の「幸福論」が脳内に流れた。
「時の流れと空の色に何も望みはしないように
素顔で泣いて笑う君に
エナジイを燃やすだけなのです」
サビのワンフレーズだ。
この曲を私が初めて聴いたのは私が小学生のときだったと思う。
当たり前にこれはラブソングなんだと思っていた。こんな風に強く人を愛するという感覚を幼い私には掴めないでいた。
でも娘を育てている今の私にはよくわかる。
これはラブソングだと思っていたし実際当時の林檎嬢はそのつもりで作ったのだろう。
子供への感情を鮮やかに描いているように聴こえるなんて考えもしなかった。
「あたしは君のメロディーやその哲学や言葉すべてを
守り通します君が其処に生きてるという真実だけで
幸福なんです」
娘をこんな風に愛せているだろうか。
愛せたらいいな。
娘の笑顔や言葉、存在すべてを肯定し守り抜くのは誰でもない私なのだから。
自閉症児育児はしんどい。無理ゲーである。でもきっと500キロメートル、いやもっとずっと離れて宇宙から見下ろしたら多分何でもない生物の営みの一部だ。
そんな壮大な妄想をしながら私は幸福論を口ずさみ、娘が療育園から帰ってくるバスを待つ。今日も笑顔でおかえりと言うために。