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社会的ステータスがあいまいなのがなんだか辛い日もある。

私がフィンランドに引っ越してくる時に日本に置いてきた一番大きいと言っていいものは、わかりやすい社会的ステータスだ。今まで割と一般的なレールに沿って生きてきたので、〇〇大学卒、〇〇株式会社、○年入社、○○事業部、うんたらかんたら、と、並べていくと、日本国内では、あーなるほど、あなたはそういう系の人なのね。と、自分の中の60%くらいまではスッと”理解された感”があった。もちろんこれらのタイトルで他人が私を十分に理解することはできないのだけれども、初対面の人がパッと知りたいくらいの深さまでをスッと理解させることができるのだ。

そしてもう一つ重要なのは、そのステータスで自分を判断している自分がいることだ。わかってる。世の中みんながみんなそんなふうに自分を捉えているわけではない。臆病な私が、自分の中での「普通な人」を目指してきた結果、「そこそこうまく生きてる普通の人」を完成させつつあったような気がしている。この、相手に理解されたような感覚にに安心感を覚えていたのは、自分で描いたステータスにそこそこ納得していたというか、自信があったのかもしれない。

20代のころはその型にはまった生き方がいやだったことも覚えてる。わての人生そんなんで終わらせられるか!もっと冒険したんねん!と思っていた記憶がある。そんな日々も懐かしい。捨てたステータスはちょっと恋しい。

ステータスを自分で設定していないと、自分が一番迷う。

さて、今の私はどうだろうか。私のステータスは大変あいまいだ。個人的に取り組んでいることや、将来への野心、トライしていること、勉強していることはいろいろとある。ただ、まだ実っていない、形になっていない。他人にひけらかすようなカッチりしたものはなにもない。ただ、そのあいまいな状況をあいまいなまま伝えるとうまく伝わらなくてなんだか誤解されたような気がする。

  • 移民なんだね?>>違いない。

  • あー結婚できた人?>>おおよそ違いないけど、「結婚したから」ここに来たかというと、若干違う気がする。話せば長い。

  • 教育移住してきた人?>>全く違うこともないけど、ちょっと違うと思う。(でもめんどくさくて、そんな感じって答えちゃうときもある)

  • 専業主婦?>>そのつもりはないけどそう見えるのもわかる。

  • 失業中?>>はい。仕事ください。なんでもするから。

  • 本当になんでもする?>>いや、多分、選びたい。仕事。うそついてごめん。

しいて言うなれば、学生に近いいきもの。

私は、学生ではないので、この歳で「学生」を名乗るのは、気が引けるけど、今自分の気持ちに一番近いのは浪人生か学生が近い気がしてる。だって毎日ものすごく学んでいるし、進路を探してるし。でも、やっぱり「学生」というのはまたひとつしっかりしたステータスだから、学生証がないのに学生名乗るのもなんか違うんだよなー。どこにも所属していないの辛い。

ぼくのニセモノをつくるには

私は、ヨシタケシンスケ先生のこの本が大好きだ。「ぼく」のニセモノを作るために、「ぼく」を多面的に分析して言語かしていくストーリー。


わたしは、日本人
わたしは、外国人移民
わたしは、こどもから見たらママ、夫から見たら妻
わたしは、フィンランド語の先生から見たら生徒
わたしは、娘の学校から見たら保護者
わたしは、甘いものが好き
わたしは、スポーツが好き
わたしは、アニメと漫画が好き
わたしは、、、、、

そんな感じで、今日ももっさりしてますが、ぼちぼち頑張ります。うんやっぱりしばらくの自己認識は、「学生に近いいきもの」がしっくりくるかもしれない。知識は引き続きインプットし続けて、進路も探し続けます。チャレンジチャレンジ。


ステータスがないのも悪いことばかりでもない。


ステータスに関係なく自己理解と許容ができるようになったら、私のメンタルは、無敵の仙人に一歩近づくと思う。会社員時代、ペーペーだった私ですら、会社でのタイトルを自分自身と勘違いすることがあった。これはいい面もあるけど、ハイリスクだ。定年後に、今よりも悪い形で、自己理解の壁に直面していたかもしれない。だから今は複雑な気持ちもあるが、この迷いは、きっと大事な迷いだと思う。30−40代のみなさんは自己理解どうされているんだろう。


とか。つらつらと、とりとめのない、つぶやきを読んでくれてありがとう。ではまた!


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