僕たちは同じ種族で、違う人間だ(Blumioというラッパーについて)
多分HSPというやつの性質のせいで、僕は他人の感情に影響されやすい。
怒りや悲しみがダイレクトに伝わってしまい、しまいにはその感情が自分にうつってしまう。
怒っている人の空気は最悪だ。胃が気持ち悪くなり、心臓が冷たくなってしまう。僕が悪かったです、と何も悪いことをしていないのに懺悔したくなる。
この性質を、もしかしたらプラスに変えられるんじゃないかと思った。
常に幸せな、楽しそうな人の傍に居続けると、僕も影響を受けて幸せになれるんじゃないか、ということだ。
でも常に「幸せな誰か」を傍に置いておくのは現実的な話ではない。そもそも四六時中いかなる時もニコニコしていたらそれはそれで気持ち悪いし…。
そこで活躍するのがYouTubeだ。今やあらゆる人がYouTubeで発信している。自分好みのチャンネルはきっと見つかるはず。動画なら自分の匙加減でオフにすることだってできる。
そしていつも幸せそうで、楽しそうな人を僕は既に知っていた。
その名はBlumio(ブルーミオ)。
ドイツ生まれの日本人ラッパーだ。ドイツ語、日本語、英語を話し、またそれらの言語でラップもする。
目立つモヒカン頭は過去にドイツで「アジア人はみんな同じ顔に見える」と言われ、頭にきた彼が「これでも同じかな?」と、この髪型にしたのがきっかけだそう。そして10年以上この髪型を貫いている。
僕はラップ好きを自称しながらも、恥ずかしながら彼のことを知ったのは最近だ。
ドイツでの彼は超有名人で、ドイツの若者の間では「サムライ・フジヤマ・ブルーミオ」という比喩表現まであるそうだ。(Wikipediaより)
そして20代の頃にリリースしたこの曲が大ヒットした。
最近アップされた日本語訳版を載せておくが、本家のPVはなんと1700万回再生を超えている。
ネオナチに対する問いかけの曲だ。過去にもネオナチに反対する曲を作るアーティストは大勢いたそうだが、そのほとんどがネオナチを排除しようというものだった。
「それでは争いは消えない」と思ったBlumioは、ネオナチに手を差し伸べ、友達になろうというメッセージを曲に込めた。
涙が止まらなくなった。アジア人として差別されてきた彼だから書けるリリックで、哀愁の漂うトラックには彼の思いが溢れている。
「感じることは一緒、僕らそんなに違わない。でも、君はあの日、外国人の男性を蹴り殺したよね」
人種と思想が違っても、僕らは基本的に同じだ、と彼は伝えている。悲しいことがあって塞ぎ込んだり、嬉しいことがあって舞い上がったり、そして恋をしたり。
何も違わない。同じ種族だ。もし自分の中に差別や偏見の感情を感じた時はこう考えるべきだと思った。肌の色も言葉も文化も違うけど、僕たちは同じなのだ。
そして、忘れてはいけないのは、それでいて僕たちはみんな違う人間だということ。
考え方も違うし、怒るポイントや喜ぶポイントも違う。好きになる人も違う。でも、それでいいんだ。個々の違いは尊重されるべきだ。でもその違いを差別や偏見の目で見てしまいそうになったら━━。
━━その時こそ「僕たちは同じ人間だ」と唱えるべきなんだと思う。
自分と同じように家族がいて、友人がいて、大切な人がいて、それなのにまだ迫害するの?差別しようと思うの?と問いかける。
同じだけど、違う。違うけど、同じ。そうして認め合えれば世界はもっと良くなるとBlumioは言いたいんだと解釈している。
彼は2016年から活動の拠点を日本に移し、YouTubeに精力的にラップ動画を上げている。
ここ数ヶ月で急に認知され始め(いわゆるバズった、というやつだ)、何を隠そう僕もその流れで彼を知ることができた。
上の動画は僕が大好きな曲だ。ドイツ人と日本人、両方の視点を持っている彼だからこそできるラップだ。優しいトラックに優しいラップが絡み合って、見る度にボロボロ涙を零してしまうのだ。
辛い過去があったからこそ、彼は笑顔で幸せを歌っている。彼の音楽は世界を変える。
そしてスマートフォンの中の彼を傍に置くことで、僕は少しだけ前を向けるんだ。みんな同じで、違うことを認めてあげられるんだ。
世界中が幸せになるといい、心からそう思っている。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
スキしていただけるだけで嬉しいです。