▼タランティーノ:
米Variety誌が興味深いツイートをしていたので、引用します。
Google翻訳の結果も載せますね:
クエンティン・タランティーノ監督は、『ジョーカー2』を称賛したために彼を「クソ野郎」呼ばわりしたファンボーイたちに反撃した。
「なんで俺はクソ野郎なんだ?俺はあのクソ映画が気に入った!だから俺はクソ野郎なのか?お前は映画が好きか嫌いかのどちらかだ。俺は映画の宣伝をしてるわけじゃない。何もしてない。ただ好きだって言ってるだけ。俺が何を好むかなんて誰が気にするんだ?俺が何を好むかなんてお前に何の関心があるんだ?それから奴らは俺が何かを見ていないからクソ野郎だと言う。俺が何を見て、何を見ていないかなんてお前に何の関心があるんだ?誰かがこう言うだろう。『あの人は見逃していると思う』。まあ、お前が見逃しているものはたくさんあるだろうし、お前が見逃しても俺は気にしない。」
以上、引用終わり。
日本語訳で何度も出てくる「クソ」はfuckのことなので、日本語での純粋にネガティブな意味での「クソ」が当てはまるのは、ちょっと疑問ですね。
ポジティブもネガティブも色々な感情を抱えてるけど、1単語で表すのは難しくて、そういう「ああああ!もおおお!」って頭を掻きむしるような、渾然一体とした単語がfuckなので。
まあ、とにかくタランティーノは『ジョーカー2』を褒めている、ということですね。
▼小島秀夫:
そういえば、小島秀夫も褒めてました。
こちらもGoogle翻訳を貼っておきます:
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を観ました。映画の冒頭は、懐かしの「ルーニー・テューンズ」を彷彿とさせるアニメーションシーンで、ジョーカーとジョーカーの影の物語が描かれる。その後の裁判では、最初から最後まで彼の多重人格の問題が議論される。ジョーカーはアーサー?ジョーカーは別の人格(影)なのか?アーサーとはいったい何者なのか?この発見はやがてメタ視点へと変化していく。前作『ジョーカー』で世界中の観客を魅了したのは本当にジョーカーだったのか?それともアーサー?この疑問は、映画の中でリーやゴッサムシティの人々に絶えず投げかけられます。私たちは、善と悪の戦いである「詩的な正義」のヒーローが大量生産される時代に生きています。最近、多くのスピンオフ映画が悪役に焦点を当てた作品は数多く作られてきました。悪役もスーパーヒーローになれるのでしょうか?この問いをDC映画としてスクリーンに投げかけるのは、あまりに前衛的すぎたのでしょうか?世界中の観客が愛したのはジョーカーだったのでしょうか?アーサー?ここが評価が分かれるところです。今後10年、20年の間に、この映画の評価はヒーロー映画の浸透とともに変化するでしょう。この映画が真の「狂気の沙汰」になるには、まだ時間がかかるかもしれません。しかし、観客全員がこの映画のホアキンとガガを愛していたことは間違いありません🤡
以上、引用終わり。
小島秀夫もめちゃ褒めてます。特にこの部分↓
意見が異なるファンを傷つけないように言葉を選んでますけど、これは「時代がまだ追いついてない」という、かなり攻めた発言です。
米Variety誌も、まさにこの部分を引用して記事タイトルにしてました。
▼まいるず:
私も公開直後から『ジョーカー2』のことは褒めてました。賛否両論と言われる映画で、小島秀夫やタランティーノが私と同じ意見だと知ると、ちょっと嬉しくなっちゃいますね。
(了)