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【午前十時の映画祭】映画館で観る付加価値について

来年あたり「午前十時の映画祭」に『300』か『ウォッチメン』を上映して欲しいなあ。

まだちょっと時期尚早か?今年度だと『プライベート・ライアン』が1998年公開、昨年度だと『ショコラ』が2000年公開。『300』と『ウォッチメン』はそれぞれ2007年と2009年の公開だから、まだ10年くらいギャップがある。…というか今後も21世紀の作品はずっと入選しないような気もする。

しかし2025年からみて、2000年代はもう20年前である。だから大学生〜30代くらいの若い映画ファンにとっては「一度、スクリーンで見たかった作品」は着実に増えていく。

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一方で選定委員は、戸田氏や町山氏など毎年同じ顔ぶれの印象。そりゃ1990年代くらいまでの作品に偏るよなー。

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要するに選定委員が思春期に受けた衝撃や、もしくは彼らが30〜40代くらいの仕事盛りで活躍した時期の作品が、どうしても優先されてしまうだろうと容易に推察できるし、実際にこれまでそうしてきた。

そして、今回たまたま改めてなっちのコメントを読んだら、尖りすぎて、各方面に失礼なことが書いてあって、呆れて笑ってしまった。

戸田奈津子氏 映画字幕翻訳者
昨今はネット配信どころか、時には腕時計サイズの画面で映画を観る人までいるとか。「午前十時の映画祭」に選ばれるような名画は、大画面、ベスト音響で楽しめるよう、全スタッフが心を砕いてつくりあげた作品だ。それ以外のかたちで観ることは作品への冒涜。彼らが意図したかたちで観賞するのが、真に映画を愛する者の心得だ。

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名画は映画館で鑑賞しないと「冒涜」なんですって。

冒涜
神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと。

大辞林より

文末に「…そう思ってしまうくらいに、私は映画館で観る映画が好きなのだ!」と添えれば、まだナウくなるかな。(笑)

逆に言うと、そのくらい気を遣わなくてはいけないほど社会はセンシティブになってるのよねー、って感じ。

例えば、時間・金銭・地理など諸条件のせいで普段はサブスクで観てるけど、月一回の楽しみで映画館へ行って、失敗したくないから午前十時の映画祭を選ぶ…という映画ファンがこの文章を読む(昨今の苦しい経済状況に鑑みれば、なんなら過半数とは行かずともそれなりに多数派がそんな人達の可能性もある)かもしれないのに、そこまで想像するデリカシーがこの人には無いんだね、と。

⭕️:映画はシアターで観るのが至高だ

❌:シアターで観なければ映画への冒涜だ

この違いが判らないというならば、戸田奈津子も耄碌したな、と言わざるを得ない。

私もアンケート機能で投票を取ってみたら、19対1で圧倒的な差が出た。少数派を選んだ人がどこまで本気だったのか判らないが、戸田奈津子のような大物があんなことを言うから、同じような考えをする老害映画ファンが跋扈することに繋がるのだろう、とも思う。(*ここに投票した人がそうであるとは限らない、とは付記しておく。)

(了)

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まいるず
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