河瀬直美の東京大学入学式祝辞を読み解く
映画作家である河瀬直美の東大入学式祝辞はロシア擁護であるという批判がありました。部分的に切り取ればロシア擁護にも聞こえますが、それは『悪意のある切り取り』であり、全く本質を突いていません。
彼女が言及したのは「視点を変えれば正義が悪に変わりうる」という普遍的な教訓であり、ロシアを擁護も非難もしていません。
▼全体の趣旨を捉える
やや長い文章であり、映画作家らしく倒置法をガッツリ使用したものなので、あまり勉強や国語が得意でない人には難しすぎるものだったかもしれません。一度私の方でTwitterに乗せられる程度まで短くまとめてみました。
これのどこにロシア擁護があるのでしょうか。
▼構造を分析する
河瀬直美の東大入学式祝辞はまるで映画の脚本のような構成になっています。最初にエピソードが示されて、次に関係なさそうな話題に飛んで、どこか根底で同じテーマを扱いながら、最後に冒頭のエピソードに帰ってきます。とても良いと思います。
先程より、もう少し詳しく口語体で意訳しました。
素晴らしいと思います。
これから前途揚々な若者にかける言葉として最高でしょう。
最初に自分語りをしていたらどんどん話のスケールが大きくなって、時事問題であるウクライナ紛争を例に出してきます。そしてそこから急転直下で自分がこの確信に至った瞬間の「発見の歓び」に話を戻して、サクッと終わります。まるで映画のようです。
ただし、このいかにも映画作家らしい「まるで映画のように大掛かりな倒置法(おばあちゃんとのエピソードトークで《窓と正義》をサンドイッチ)」の使用は、聞き手にそれなりの集中力と頭の回転の速さを求めるものだと思います。
私も後から文章で読んだのでスッと入ってきましたが、スピーチを耳だけで聴きながらはしんどかったかもしれません。そういう意味でも秀才揃いの東京大学の学部生の入学式は適切だったのではないでしょうか。(*有象無象が比較的簡単に編入できる大学院ではないのも重要)
一つ惜しかったなと思うのは、東京大学に入学するような受験生には映画とかカンヌとかあまり興味がない人も多いと思うので、そこはもう少しアピールしても良かったかもしれません。
若くして大成功を収めた世界に名だたる天才監督の一人であるということは、特にカンヌと県民栄誉賞の部分は、謙遜しながらで良いので、はっきり語っておくべきポイントだったと思います。
くらいは言った方が、若者が多くエリート意識もありそうな東大生には効果的だったと思います。そもそも知らね( ・△・)という人が多かったでしょうから。
▼問題になった箇所について
ロシア擁護を指摘された部分だけ再度抜き出しましょう。
これのどこがロシア擁護なのでしょうか?
部分的に読めばロシア擁護にも見えるが、それは『悪意のある切り取り』であり、全く本質を突いていません。
彼女が言及したのは「視点を変えれば正義が悪に変わりうる」という普遍的な教訓であり、ロシアを擁護も非難もしていません。
世界遺産の金峯山寺の、本殿を支える多様な樹木や、鬼もウチに含めてしまう懐の大きな考え方に感化されて、どんな相手にも立場や気持ちや考えがあることを忘れないようにしよう、翻って自分が誰かにとって害悪だと見做されうる可能性があることを忘れず自分を律していこう、と言っているだけです。
ロシアはたとえ話としてイメージしやすかったから使ったに過ぎません。
たとえ話をたとえ話だと理解できるくらいのリテラシーは持っておきたい所です。でないと、ロシアとかウクライナとかコ●ナとかワクチンとか少し「きわどいワード」を出しただけで、拒否反応を起こしたり、思考停止に繋がりやすくなります。そうした世論の傾きが、何年もかけてエスカレートして言論統制や弾圧、そして戦争や虐殺に繋がってしまう歴史を人類は繰り返してきました。人は過去から学べる存在だと私は信じたいです。
ましてや、ここは大学の入学式なのです。明治維新以降の学問では、主に農学や工学や化学など自然科学の分野において、殖産興業の下で実利を重視する側面はありました。しかし学問というのは本来、世間のあらゆる利権や思想から距離を置いて、純粋に対象を探求できるべきものです。
それは地動説を説いたガリレオにも進化論を説いたダーウィンにも言えることです。彼らはキリスト教の考えに異議を唱えていたので、世間からひどいバッシングを受けました。しかし彼らが世間の圧力に屈せず、現代でも適用されている真実を見つけ出し主張できたのは、彼らが彼ら自身の窓を持っていてそこから世界を観察していたからに他なりません。
▼東京大学で言った意味
自分の感性を信じて、たとえばメディアからの声に簡単に流されるなというメッセージは、ある意味で産官学の分離(*)を謳っているもので、大学というアイデンティティを示すという意味で、むしろ適切だと思います。
しかし実情では、産業(経済)のために「役に立つ」「お金儲けになる」研究の方が予算が出やすかったり(特に私学では経営があるので)、官僚(政治)の都合が良くなる研究成果を出す研究者の方が優遇されたり、いわゆる癒着が生じやすい側面があります。
受験生から大学生になったばかりの若者に、この学問が置かれている難しい局面がどのくらい理解できているのかは怪しいものですが。ただし東京大学は日本での注目度が他校と圧倒的に違って、部外者(私のように)でも読まれる機会が多いですので、東京大学の祝辞で言うのは有意義だと思います。
そして、それを『官僚養成所』とも揶揄される東京大学の入学式で言うところも痛快で面白いです。
▼問題になった箇所について、もう一度
今回のウクライナ危機でロシアが加害者なのは明白です。ロシアから先に軍事侵攻したのですから。これについては私も否定しません。ロシアは2022年の軍事侵攻という面で加害者です。
しかし人がよく陥るトラップとして「加害者だから嘘、被害者だから真実」という思い込みがあります。これはやってしまいがちな勘違いでしょう。でもロシア発の情報が全部ウソではないし、ウクライナが全て真実のみを発信しているとは限りません。
テレビや新聞などのマスメディアを見ると分かるとおり、世間は「ロシアが悪くて嘘つきでプーチンは馬鹿な独裁者。逆にウクライナは正義で真実でゼレンスキーは勇敢で聡明な指導者」という論調に支配されています。
しかしウクライナが出している情報にもフェイクが含まれることや、ウクライナの政権はネオナチ(過激な右翼団体)の指導者で占められているとか、さらにはこのウクライナから発信される映像やニュースにはアメリカの戦争広告代理店が深く関与していて、戦争が長引くほどアメリカに多く存在する軍事産業に携わる会社が儲かっていく、という事実があります。
これらを隠そうとする圧力がアメリカから掛かっていて、日本の政府やメディアはそれに即した言動しか取りません。メディアはお得意の「報道しない自由」を最大限に活用しています。それに世論が流されて企業もそれに従うしかなくなっています。「戦時下であれ人々には衣服の提供が必要だ」という考えのもと営業続行を明言したユニクロ社長はSNSで盛大にバッシングされて、すぐに発言撤回と営業撤退を余儀なくされたのは記憶に新しい所です。
ウクライナ側の情報発信に広告代理店が絡んでいるのは明白です。キエフ市内でベビーカーを100台並べるパフォーマンスや、人気ハリウッドスター俳優が出演した感動的なVTRメッセージや、ゼレンスキー大統領が西側諸国の議会で繰り広げた高クオリティの感動的な映像がついてる演説VTR。映像やメディアに携わっている人なら一瞬で分かるレベルです。素人や政府がパッと用意できるレベルではありません。しかも戦時中にですよ。
そして挙げ句の果てには戦争とは無縁であるべき音楽の祭典グラミー賞授賞式にまでゼレンスキー大統領のVTRが流れました。授賞式に参加したミュージシャンは半強制的にゼレンスキー支持に加わされた形とも言えます。栄誉あるグラミー賞のトロフィーを人質にされて有無も言わさずです。このグラミー賞での映像は照明が超ムーディなスタジオで作り込まれていて、ゼレンスキーのいつものTシャツ姿が不自然に浮いて滑稽でした。そこまで準備できるならノータイでもいいから、せめてジャケットくらい着ろよ。フォーマルな場所で明らかに不自然だし失礼です。厚顔無恥を絵に描いたようなVTRです。(彼は元コメディアンらしいのですが、笑わせてくれましたwww)
もし『笑っていいとも!』のような国民的娯楽番組の放送中に、一つコーナーの時間を削って、スタジオに大きなディスプレイが運び込まれて、いつものTシャツ姿のゼレンスキーのメッセージを感動的な映像+BGM付きで流されて、それが全国中継されたらどう思いますか。それに近いことをグラミー賞授賞式ではやったのです。
ここまでくると流石にやりすぎでしょう。しかし世間の大多数はもうそんな不自然さには気づきません。そのくらいウクライナを正義だと多くの人が信じ込んでしまっているからです。そして残虐な戦争行為を目の当たりにして感情的になっているので細かなことが気が回らなくなってしまっています。私にはまるで世間が集団洗脳にかかったかのように見えて、いささか気持ち悪いです。
東京大学は日本のトップの学生が多く集まる場所です。そして実際に官僚になる人には東大出身者が圧倒的に多いです。大企業に勤めて出世コースを突き進む人も多いでしょう。将来、この国の政治や産業を担う人物を多く輩出するであろう学校の入学式という最も生徒を集めやすい場所で、河瀬直美がこの祝辞を述べた意義は大きいと思います。
了。