クアラルンプールの聖地(美しきブルーとピンク)
クアラルンプール⑥
クアラルンプールを取り囲むように、スランゴル州はある。
台北にとっての新北市、ベルリンにとってのブランデンブルク州のようなもの、と言えば分かりやすく感じる人もいるかもしれないが、残念ながら日本にはない概念である。
強いて言うなら、東京23区以外の首都圏が全て一つの県になっているのを想像してもらえるといいかもしれない。
スランゴル州の州都はシャーアラムという。
クアラルンプールの中央駅から郊外列車で一時間ほど。
街の規模は大きいとは言えないが、そこにはマレーシア最大のモスクがある。
正式名称はスルタン・サラフッディン・アブドゥル・アズィズ・シャー・モスク。
通称「ブルーモスク」である。
体当たり!バス道中①
駅を出たらモスクが出現すると思いきや、そこにはだだっ広いタクシー乗り場があるだけだ。
金のある旅人ならタクシーに乗ればいいのだが、あいにくそんな贅沢はできそうにない。
闇雲に大通りを歩いていると、神の思し召しか、単なる偶然か、市バスのターミナルを見つけた。
「英語はわかりますか」とカウンターのおばちゃんに聞くと、首を横に振った。
マレーシアは英語が通じることが多いので、ちょっと困ったことになった。
「ええっと、アドゥ・バス・ク…ブルー…モスク?(ブルーモスク行きのバスはある?)」と片言のマレー語で言ってみるが、肝心のブルーモスクが通じない。
Wi-Fiも繋がっていないので、Kindleに入れてあったガイドブックの白黒写真を、舌を噛みそうな正式名をオドオド言いながら見せる。
すると、なんとなく通じたようで、
「サトゥ!(1番よ)」と言う。
観光地らしいが、誰もこんな遠いところまで来ないのか、あるいは、普通は列車で来ないのか、あるいは、駅でタクシーを拾うのか。
いずれにしても、私のルートは異端なようである。
待合室で隣に座っていたお婆さんが、
「どこにいくの?」とおそらくマレー語で聞いてきたので、
「ブルーモスク!」と言うと、
「サトゥ(1番よ)」兎にも角にも1番だ。
1番バスは大量の客を乗せてやってきた。
どうやら帰宅する客のようである。
現在時刻は16時半だから、そういう職種もあるのかもしれない。
この時間帯にここから乗る客はさほど多くない。
運転手に行き先を確認すると、このバスで良いらしいので、席に着いた。
住宅街をバスは抜けていく。
私は東京でも中央線沿いの多摩地区で育った。
車窓のシャーアラムは、郷愁を感じさせるものがあった。
きっと、埼玉や神奈川、千葉の人も同じ感想を、抱くだろう。
市街地へ向かう道中のバス停にバスが停まる。
外には高校生の集団がいて、バスの扉が開くや、一斉にバスに乗り込んでくる。
ここで運転手が、
「ブルーモスク!」と叫ぶ。間違いなく私に向けての言葉だ。
「ここか?」という風に尋ねると、まっすぐ行って右折、というポーズをする。
ありがとう、と胸に手を当てると、運転手はグッドサインで応じた。
バス停から北北東の方向を見ると、大きな青いドームとミナレットが見える。
間違いない、あれがブルーモスクだ。
ブルーモスクにたどり着けない
手前にはシャーアラム市役所、市議会、博物館、そして大きな池のある公園があり、それらを超えた先にモスクがある。
市役所や議会、博物館も、モスク同様深い青の屋根である。
ちなみに、これら公的機関と公園を突っ切ることができれば、直線的にモスクにたどり着くことができるのだが、そうは問屋が卸さない。
実際にやってみたが、正しい道が見つからなかった。
大通り沿いに迂回してやっとこさ、モスクである。
たどり着いたのは裏口だった。
駐車場が並び、「ここでいいのか?」と不安になる。
礼拝客の姿も見えないが、車だけは確かに並んでいる。
そして間違いなく、駐車場の奥には巨大なブルーモスクが聳え立っている。
青の空間
靴を脱ぎ、中に入ると、相変わらず掃除が行き届いている。
裏口だったからか、特に登録等はなく、あっさりと礼拝ホールに入ってしまった。
天井が低く、派手さもない、質素な空間には扇風機がいくつも並び、祈る人は扇風機の前に来て、スイッチをオンにしてから祈り始めている。
どうやらここは、メインホールではなく、収容人数を分散させるための礼拝所らしい。
だから見栄えは劣るわけだが、祈る前に自分の方を向いた扇風機をつけ、終われば切って立ち去る姿は宗教と日常の狭間を見たようだった。
メインホールはその礼拝所の真上にあった。
中に入ると、巨大なカーペットと、壮麗なステンドグラスが目に飛び込んでくる。
この日は雨模様だったが、それでもステンドグラスを通じて、青、緑、赤などさまざまな光が緻密に室内に降り注ぐ。
なんとも幻想的な、なんとも美しい空間。
天井を見上げると、木彫のドームの周囲をターコイズブルーの縁が縁取っている。
そこには黄の文字でクルアーンの言葉が刻まれている。
木の継ぎ目は大きな華の図柄を描き、それはまるで天球である。
イスタンブルにもブルーモスクというものがあるが、それはタイルに描かれた青い装飾がその名の由来だ。
その点、マレーシアの青いステンドグラスと、天井の青さは、本当の意味でブルーといえる。
だが、単に青いだけでなく、木、黄色の文字、赤や緑のステンドグラス、そして白い柱など、青を引き立てる色が上手く使われているとも感じた。
絶対的精神集中の場
そんな中でも、私の目をどうしてもとらえてしまったのが、扇風機だった。
やはり、礼拝の際の立ち位置に、ずらっと扇風機が並ぶ。
身を清め、心を集中し、幼い頃より叩き込まれた動作に身を委ねる。
扇風機は、その時暑さから祈る人を解放する。
モスクと、ヒンドゥーや道教の寺院との決定的な違いは、静謐さだと思う。
そこに音は全くなく、静けさだけが響く。
モスクとは、ありとあらゆる障害を断絶し、ひたすら神に集中する空間なのである。
そういう意味で、イスラームは禅などの仏教に似ていると感じる。
以前、友人からこんなことを聞いた。
彼は福井の永福寺を訪ねた際、僧侶の歩き方が、決まり事に則ったものだと聞いたと言う。行為のカタがあるからこそ、人は行為を越えることができるのだ、と。
仏教では、呼吸や歩行など、日常的に意識しない行為をあえて意識し続け、集中することにより、瞑想するらしい。
イスラームの、煩雑に見える祈りの作法は、あえて煩雑なのかもしれない。
つまり、祈りの作法そのものが、神へと、神だけへと向かうための機能なのかもしれない。
そう考えると、イスラームと仏教という東洋を席巻する二つの宗教の共通項が見えるように思えた。
もちろん、異教徒の勝手な憶測に過ぎないのだが。
モスクは絶対的な精神集中の場だ。
その空間に腰を下ろし、キブラ(メッカの方向)に向かい、考えに身を委ねると、異教徒の私も、心が表れていくのを感じる。
この幻想的な青の美の空間がまた、心を思考の奥へと浮遊させていくように思う。
「首都」プトラジャヤ
ブルーモスクに対して、ピンクモスクというものがある。
ブルーモスクは先ほども言った通りイスタンブルにもあるが、ピンクは他にはない。
ブルーモスクがスランゴル州の州都シャーアラムにあるのに対し、ピンクモスクはマレーシアの首都プトラジャヤにある。
おや?と思った方もいるだろう。
マレーシアの首都はクアラルンプールのはずだ。
プトラジャヤはクアラルンプールの一部である。
だが、市街中心部からは20kmほどの距離、それも山一つ越えたところにあって、いわば飛地である。
マレーシアは首都機能の移転を進めており、その受け入れ先がプトラジャヤである。
日本で言えば、立川あたりに首都機能を移した、という感じだろうか。
ちなみに、近くにはサイバージャヤというとんでもなくSF的な名前の街も築かれ、工業団地となっているらしい。
当然、車窓から見えたサイバージャヤは特にサイバーではなかった。
プトラジャヤに行くには二つの方法がある。
一つは、中央駅からクアラルンプール国際空港に向かう特急に乗ること。
もう一つは、中央駅からハン・トゥア駅かマスジッド・ジャメッ駅まで乗り、乗り換えてチャン・ソウ・リン駅で下車、さらにプトラジャ線でプトラジャヤへ行く方法。
路線図を頭に浮かべる必要などない。
後者が面倒だとわかってもらえれば良いし、実際1時間はかかるのである。
だが、価格でいうと、特急は14リンギッで、鈍行は5.20リンギッ。ほとんど3倍はする。14リンギッは500円くらいだが、1.5食分くらいだ。
鈍行でいくほかない。
首都機能を移転した割に、中心部からあまりにアクセスが悪くはないか、と思うが、役所の人などは車移動なのだろうか。
体当たり!バス道中②
プトラジャヤに着いたのは17時半を回った頃だった。
市内に戻って夕飯を食べるには、帰りは特急を使うしかなさそうだ。
だが、到着が遅れたおかげで、ピンクモスクの夕陽が見れそうである。
駅の外は、例の如く、バス停だった。
新たな首都という割に、その他には何もない。
今回こそ駅前には首都とモスクがあると思っていたので、「またシャーアラムの二の舞か」と少しうんざりする。
とはいえ、やり方は心得ている。
停留所に停まったバスに近寄り、運転手に声をかけた。
「ピンクモスクに行きたいんですが…」
「このバスじゃないよ!あっちの青い車体のやつだ」
運転手は一番端のバス停を指差す。
どうやらそのバスはクアラルンプール市街地とプトラジャヤを繋いでいるらしい。
1時間に1本出ているようで、次は18時ちょうど。
帰りにはこの路線は使えないかもしれない(もう少し早くプトラジャヤについていれば話は別だったが)。
運転手に行き先を告げると、2リンギッらしい。
ポケットを漁ると、細かい金が1リンギッしかない。
すると運転手は、1でもいいから早く乗れ、と言う。
なんだか申し訳ない気分である。
バスは暮れそうな夕陽を横目に住宅街を進む。官舎か何かだろうか。
しばらくすると、大きな川が現れる。
橋を渡ると、川の左側に大きなピンクのモスクが見えた。
あれがピンクモスクか。
川の向こう側は、巨大な建物が集まる、ちょっと異様な空間である。
どの建物も官庁か銀行で、丸の内、霞ヶ関の雰囲気があるが、極度に生活感が足りない。
首都機能のための空間である。
メインストリートのプルダナ大通りを北東に突き進むと、橋に直通している。
その橋の向こうにプトラ広場がある。
この広場は首相府に面しており、この国の政治の中心だ。
そして、ピンクモスクことプトラモスクもこの広場に面する。
ピンクモスク
大きな門をくぐると、広い中庭がある。
その奥に、ピンク色をしたプトラモスクは鎮座する。
近づいて見ると、そのピンクが着色されたものではなく、あくまで、ピンク色の大理石によるものだとわかる。
入り口に建つ列柱のあいだには、繊細な模様が刻まれた正方形のタイルがアーチ状に並べられていて美しい。
そして相変わらず床面は美しく磨かれている。
ピンクモスクの中は、ブルーモスクや国立モスクとは異なり、複雑な構造など何もなく、広い絨毯の礼拝ホールがある。
絨毯を含む内装も一貫してピンク色で、メッカの方向を指し示すキブラもまたピンクの大理石で縁取られている。
刻まれたクルアーンの文句は、今までに見たことのない蔦のような書体で刻まれ、独特な雰囲気を醸し出す。
ピンク一色の独特の空間は、自然由来のものだからか、決して毒々しくはない。
かつて歩いたピンクの街ジャイプールや薔薇色の街トゥールーズを彷彿とさせる、どことなく土っぽい印象をむしろ受ける。
絨毯の上であれこれ物思いに耽っていると、礼拝客が増えてきた。
どうやら、「時間」のようだ。
しばらくして、祈りの時間を告げるアザーンが流れ始めた。
異教徒の私は、そそくさと外に出た。
市街地と広場をつなぐ橋を渡りつつ、モスクを振り返る。
するとちょうど美しく赤く広がった夕陽を背にしたモスクが幻惑的な美しさを放っている。
息を呑むような美しさ、とはまさにこのことだと思った。
しばらくはこの光景を目に焼き付けてから市内に戻ろう。