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シンガポールの顔

シンガポールのミナミ①

日本随一の経済都市大阪は、伝統的にキタとミナミの二つの顔をもっている。
同じように、東南アジア随一の経済都市シンガポールにも、キタとミナミがある。

シンガポール中心部を横切るように流れるシンガポール川から南は華人街と高層ビル群からなる。
一方、北側にはインド人街を中心に、猥雑なブギスの界隈とスルタンモスクが鎮座するアラブストリートがある。
大阪のキタが比較的都市的で、ミナミに猥雑さが集中しているのに比べ、シンガポールはむしろキタに庶民のエネルギーが充満し、ミナミは観光とビジネスの街だと感じた。

ちなみに、大阪のキタとミナミの間には中之島があり、庁舎や美術館、古い建築物があるが、シンガポールも同様に、川の一応は北岸であるが、ヴィクトリアメモリアルや国会議事堂などが位置する地区がある。
どれもこれも偶然ではあるけれど、なんとなく面白い。

揺籃の地

私の宿があったのは、キタとミナミを隔てるシンガポール川の南側の岸だった。

そこは広東ストリートと呼ばれ、華人の商店建築が残っていた。
華人の商店建築、その名もショップハウス(英語にするとダサい)は、二階が居住スペース、一階が商店になっている。
今では外国人向けのバーやパブ、クラブの類がある、何かと騒がしい区域だ。

シンガポールは、東南アジアの歴史からすると、さして古い街ではない。
インドの古代王朝の末裔が、「獅子の街(シンガ・プラ)」と名づけたという伝説があるようだが、基本的には島の漁村に過ぎない。
そんな島に目をつけた英国が開発を進め、現在のような経済都市が出来上がった。香港や横浜のように、純然たる貿易のための街として生まれたのだ。
その貿易の中心となったのが、シンガポール川だったらしく、私の宿の界隈はシンガポールの始まりの地だったというわけだ。

河岸はボードウォークになっていて、外国人はもちろん、地元の人も集まってくる。
ランドマークはフラートンホテルと呼ばれる巨大なホテルで、英国統治時代に建てられたものらしい。
目の前には、これもまた英国によって建てられた鉄製の吊り橋がある。
通りの名前もよくみてみると、英国時代についたらしいヴィクトリアストリートや、チャーチストリートなど残っており、シンガポールは英国の遺産を比較的積極的に活用しようとしているように見える。

フラートンホテルと吊り橋
シンガポールの基礎を築いたラッフルズの像

がっかりする場所?

吊り橋を渡り、ヴィクトリアメモリアルや美術館などの英国統治時代の建物が残る地区を通り抜け、真っ白な鉄製の橋を河口方面へ越えると、目の前に巨大な空飛ぶ船のような建物が飛び込んでくる。
これが有名なマリーナ・ベイ・サンズだ。
私はてっきり、Marina Bay Sunsだと思っていて、シンガポールの東側だから太陽なのかなと思っていたのだが、実際はSandsが正しかった。
つまり、砂のたまった洲のようなものがあったところに、あれを建てたのだろうか。

橋の向こうに巨大な構造物が現れる様は圧巻

河口まで来ると、マリーナベイサンズに向かい合うように、マーライオンがいる。
がっかり名所と言われることが多い場所である。
しかし、そのせいでハードルが下がりに下がっていたからか、思っていたよりも図体がデカく、なんだか感動してしまった。
敬意を表して、マーちゃんと名付けて、旅の相棒としたくらいである。

高層ビルを背にマーちゃんは今日も水を吐く

がっかり名所、といえばだが、シンガポール自体も、私の周囲では評判が悪かった。
ただ暑いだけだとか、綺麗すぎるとか、海外旅行に関する左右両陣営から非難轟々である。
実を言えば、今回シンガポールを旅先の一つに選んだ理由は、そんな前評判の悪さからでもあった。
要するに、私は天邪鬼なのである。

結果はと言うと、シンガポールは私がまた訪れたいと思う国の一つになった。

戦場に雨が降る

まず暑さについては、今が雨季の終わりということも手伝って、あまり感じなかった。
もちろん、日差しに直撃すれば暑い。しかし日陰や夜は涼しい。
このことは、シンガポールの雨季の1日の「タイムスケジュール」にも関わっているのかもしれない。

一度晴れると日差しが痛い

シンガポールの雨季は時間に正確だ。
大抵、10時半から11時半ごろにかけて大雨が降る。
次は13時から14時か、それがなければ15時ごろにまた大雨が降る。
周期があらかた決まっている上に、しばらくすれば止むので気が楽だ。
そして、見ておわかりいただけるように、雨は1日の最も暑い時間帯に集中している。お昼時である。
だから、空気の気温が上がりきることがあまりないのである(もう一度言うが日差しは暑い)。
これは彼の国とのファーストコンタクトとしては理想的だったといえる。

だが、裏を返せば、それは少し残念なことだったかもしれないと思うこともあった。
今回、私は旅先に、戦中にマレー半島を放浪した詩人金子光晴の『マレー蘭印紀行』を持ってきているのだが、そこに、こんな一節があった。

シンガポールは、戦場である。焼けた鉄叉のうえに、雑多な人間の膏が、じりじりと焦げちゞれているような場所だ。(中略)かれらは、みな生きるために、炎暑や熱病とたゝかう。はるかにのぞむと、赫々とした赤雲のような街だ。

大変なのは承知で、シンガポールの本当の姿は、この戦場を体験してこそなのではないかと心のどこかで思うのである。
人間とは身勝手なものだ。

だが、言うほど暑くなかった、と言うだけでは、好きにはならない。
シンガポールの良さは人にある。

この話は、また次回。

いまだクアラルンプールより。

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河内集平(Jam=Salami)
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