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ジョホールバルの村

ジョホールバルの村と街①

国境越え

シンガポールの市街地から、国境地帯であるウッドランズまでは地下鉄で行ける。
45分ほどかかるが、ヴァチカン市国を除けば世界一アクセスのいい国境だと思う。

とはいえ、実際に地下鉄に乗ると、ウッドランズサウス、ウッドランズ、ウッドランズノース、という3つの駅があり、少々混乱する。
実際、ウッドランズ駅で降りたはいいが、駅表示がなかったため、より国境に近いノースに移ってみた。
ところがノース駅にも特に何も表示がない。
駅員に聞いたら、やっぱり無印ウッドランズが正解だと判明した。
初めからウッドランズ駅で聞いておけば良かっただけなのだが。

ウッドランズからジョホールバルまではシャトルと呼ばれる鉄道が走っている…はずなのだが、誰に聞いてもバスの話しかしない。
誘導されるがままに、私はバスに乗り込んだ。
こんなところから「マレー鉄道縦断の旅」はおじゃんである。

ウッドランズのバス停

バスは住宅街を走った後、国境地帯に入り、まずはシンガポール側でパスポートコントロールがある。
といっても、最先端をいくシンガポールは韓国や香港といった国と同様、押印がない。
ただ、改札機のようなものにパスポートを通すだけだ。
旅行者にとっては寂しい感がある。
どんなに並ぼうと、どんなにめんどくさい質問を投げかけられようと、入国スタンプは旅の勲章なのだから。

よく考えれば、シンガポール、韓国、香港はアジア四小龍と呼ばれるアジアの経済を支える国々のうちの三つだ。
ぜひ、最後の一角である台湾にはスタンプを残したままでいてほしいが…。

バスを乗り換え、橋を渡るとマレーシアの検問所がある。
二、三質問を受け、スタンプをもらうと、そこにはただ90日間有効である旨が書かれていて、なぜバックパッカーの溜まり場になっているかがわかる。

検問所から表示に従って歩くと、いつのまにかJBセントラル駅と呼ばれるジョホールバルの中央駅に着いてしまった。
ほとんど隣接しているようだ。
前言撤回、こちらの方がはるかにアクセスがいい国境地帯である。

ジョホールバルの村

ジョホールバルは、古い街ではなく、港町として発展した新しい街である。
必然的に、旧市街を含めた市街地は港のあるあたりに集中していて、駅前でさえもちょっと寂れた雰囲気がある。

駅前のどことなく荒んだ通り

少し街を離れると、でかい道に民家やガソリンスタンド、そして彼らにとっては生活必需品である食堂とモスクがある村のような界隈が現れる。
そういう意味で、街の規模は違うが、作りとしては横浜に似ているのかもしれない。

普通に考えれば市街地に泊まるのが正解なのだが…直前に宿を探したために、安い宿は「村(カンポン)」にしか残っていなかった。

ジョホールバルの村マームーディア

「シンガポールから来たのかい?あそこはみんなが急いでる、大都会だからね。ここでは全てがスローなんだ」
宿のフロントの華人の青年はいう。

市街地から歩いて30分ほど。あたりには鳥の声と車の走る音しか聞こえない。

「次はどこに行くの?」と青年が尋ねるので、マラッカに行くつもりだと答えた。
「バスはもうとった?」
「いや、それがまだなんだ」
「ネットで簡単に取れるよ。バスターミナルはラルキンというところにあるんだけど、ここからだとグラブ(配車アプリ)か、バスだね」世の常で、バスターミナルは遠いようだ。SIMカードの類を使っていない私は、
「ちなみにターミナル行きのバス停は?」と聞いた。
「バス停はないんだ。10番か12番のバスを見つけたら、手を挙げて。そしたら、向こうが気付けばとまってくれる。たぶん2リンギットくらいじゃないかな」
日本のシステムに飼い慣らされている私は絶句してしまった。

村の焼き飯

本当は市街地まで出かけようかと思っていたが、何だか30分歩くのも面倒になり、バスの予約をするなり、部屋で眠りこけてしまった。
起きたときには18時30分ごろ。
この時間でもジョホールバルは夕焼けである。
これには理由があって、マレーシアとシンガポールと日本の時差が1時間、一方で真北にあるはずのタイは2時間で、実際の太陽と不思議なズレがあるのだ。

「ご飯?トンネルの向こうにマレー料理があるよ。それと、坂を降りればインド料理も」
と青年は言う。
アドバイスに従って、トンネルを抜けようとしたのが、明らかに車道だったので坂を降りることにした。
坂の下には大きな道が走っており、その道を辿ればジョホールバルの中心部に行くことができる。

しばらく歩いていると、モスクからアザーンが聞こえてきた。
アザーンというのは、ムスリムの義務とされている一日五回の祈りの時間を告げるものだ。
「神は偉大なり。ムハンマドは神の使徒なり」といった、彼らにとって重要な言葉を告げる一方、朝一のアザーンは「祈りは眠りより尊い」という啓発的なセリフが出てきて面白い。
それはさておき、時を告げるアザーンは、旅人にとっては、自分がイスラーム圏にいることを告げてくれるものでもある。
何となく感慨を覚えた。

村一番のモスク

青年はマレー料理はトンネルの向こうにしかないと言っていたが、坂の下にもマレー料理の店があった。
店というよりむしろ、駐車場の一角といった趣だが、入り口ではおばちゃんがサテーと呼ばれる焼き鳥を焼き、奥の方では宴会が始まっている。
じーっとサテーのおばちゃんを見ていると、
「マカン?(ご飯かい?)」と聞かれた。

私は外国人で、マレー語があまりわからない旨を何とか伝えると、メニューを出してくれた。
とはいえメニューを見ても何一つわからない。
ウェイター的な仕事をしている青年に
「一番人気のあるメニューは?」と聞くと、英語がわからないらしく、客か店の人かすらよくわからない若い女性がやってきた。

「一番人気なのはそうだな…このナシ・ゴレンですかね。」と女性はいう。
「じゃあ、そのナシゴレンで」
「いろいろ種類があるけど、どれがいいです?」
「一番人気なものを」我ながら強情だなと思いつつ、旅先ではこういうのが大事なのだ。
「カンポン(当地風とでもいおうか)でいい?」
「もちろん」
「何か飲み物は?」普段なら水でいいのだが、喉が渇いていたので、
「ジュースはありますか?」と尋ねると、
「ジュースはないな…シラッなら」何だかわからないがそれにした。

ナシゴレンとは、マレー風のチャーハン、というか文字通り焼き飯である。
素朴な味付けの焼き飯にでかい赤青の唐辛子が何本か散らされている。
これに、ナシゴレン・カンポンは、小魚がはいっていた。
これが味のアクセントになっていて美味い。

シラッとは、シロップのことで、赤くて甘い液体だったが、辛い味付けの料理にはよく合う。
シロップは、確か、ムスリムがラマダン明けにスロースタートするための飲み物だったはずだが、ここでは日常的に飲むらしい。

サテーも食べたかったのだが、何となくタイミングを逃し、私はそこを後にした。
あわせて12リンギッ。シンガポールの数字に慣れていたので、浪費したなと思ったが、450円に満たない。

つくづくシンガポールから入って良かったと思う。
マレーシアから入れば、シンガポールの物価に泡を吹いていただろう。

少し散歩をすると、きれいな月が出ている。
思えば、シンガポールから移ってきた先が、この、村のようなところというのは面白い。
大都会からの大移動である。

コンビニの類もないので、水は個人商店で買う。
曰く、1リンギッ。
額面自体はシンガポールと同じだが、かたや110円の、こちらは36円だ。
かなり安いといっていいだろう。

村の夜は早い。
私もそそくさと宿に戻った。

「大都会」バンコクより

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