シンガポールにあるインド
シンガポールのキタ②
リトルインディアの二つの顔
アラブストリートの界隈から西に進み、ローチャー運河を越えると、そこはリトルインディアと呼ばれる区画である。
メインストリートは南北を貫くセラングーン通りで、訪れた時はインドの新年を祝うディワリ(ディーパワリー)の飾りがついていた。
至る所でセールが開催され、至る所で、ディワリ飾りを売る臨時の屋台が立っている。
リトルインディアは、インドがそうであるように、北と南で性格が異なっている。
南には、マレー半島地域で幅を効かせる、南インドのタミル人、北には、東インドのベンガル人が多く住んでいるように見受けられる。
これはどういう違いなのかというと、言語、文化、宗教にまたがって大きな差異である。
まず、タミル人は比較的丸っこいタミル文字を使っているが、ベンガル人は鋭い字形のベンガル文字を使う。
また、タミル人の多くはヒンドゥー教を信仰しており、シュリ・ヴィーラマ・カリアンマン寺院という大きな寺院が、街のメインストリートであるセラングーン通りに建っている。
一方のベンガル人はイスラームを信仰する人も多く、同じくセラングーン通りの北側にはアングリア・モスクが建っている(建てたのはベンガル人ではないらしいが)。
また、タミル映画で知られるタミル人の住む界隈では店から大音量のフィルミー(映画音楽)が鳴り響いているが、ベンガル人側ではそれがない。
タミルにはチェンナイがあり、ベンガルにはコルカタがある。
どちらも英国が建設した経済拠点だ。
つまり、英国統治時代にタミル人やベンガル人が流入してきたということを意味する。
面白いのは、このリトルインディアの界隈は、建物自体は華人街と同じ色とりどりのショップハウスだということだ。
カキ・リムと呼ばれる歩廊のあるショップハウスは、この土地では決して華人の専売特許ではなく、インド系住民にも使用されている。
タミルの魂
タミル側にはシュリ・ヴィーラマ・カリアンマン寺院がある、という話はした。
ディワリ間際だからか、夕刻からこの寺院では常に何らかの儀式が行われていた。
靴を脱ぎ、寺院に入る。
真ん中には三柱の神がいる。周囲には別の神が祀られていて、左回りで参拝していくのがマナーだと、インドで教わった。
実際、シンガポールでも皆同じようにしている。
神の像を見ていくと、「聖天」ガネーシャや、「弁財天」サラスヴァティなど、日本で暮らす我々にも馴染み深い神々が見える。
そう思うと、仏教を通じて、日本もまたインド文化の影響を受け取っているのだなと改めて思う。
回っていくと、入り口付近からけたたましいラッパと太鼓の音がした。
チェンナイを旅した時、こうした光景は昼と夜の2度目にしたものだった。
昼にラッパと太鼓に引き入られた神輿がどこからともなく現れ、神の像が寺院の周りを練り歩き、最後には寺院に奉納される。
夜にはラッパと太鼓、そして濛々と煙る香が行列を飾り、寺院に再び神が宿る。
だがシンガポールでは街を練り歩くことはせず、僧侶が寺院の中心の祠から何かを動かし、別の祠に移動させるだけである。
それでも、寺院の中満杯に集結したインド系住民たちは手を合わせ、僧侶からの祝福を受けている。
あたりからは神の名を告げているのだろうか、マントラのような声が響き、ラッパと太鼓が花を添える。
この寺院はインド同様に、音と光で溢れている。
ベンガルの心
ベンガル人の街は生活の街だ。
ムスタファセンターという巨大なモールを中心に、至る所であらゆるものが売られる。
服、SIMカード、チケット、貴金属、そして食べ物。
クリーンシティシンガポールとは何処へ、というくらい、この区画は生活感がみなぎっている。
特に、レストラン街に囲まれた広場があり、そこは、ベンガル人たちの憩いの場になっている。
夥しい数の人間が、ベンチや地べたに座り、談笑している。
こんな空間は日本ではまずお目にかかれない。
ここは確かに、リトル・インディアなのだ、と実感させられる。
魚頭にまつわるエトセトラ
もちろんホーカーセンターもある。
残念ながら別のところで食事をとってしまったのだが、テッカセンターと呼ばれる施設の屋台のほとんどがインド料理を提供している。
中華料理が現地に即した味に柔軟に変化するのに対して、インド料理は保守的だという話を読んだことがあるが、見て回るとその通りで、インドで見るような食べ物が並んでいる。
インドでは食と宗教が強く結びついている。
カレーひとつとっても、実はいわゆるアーユルヴェーダに則っていたりするし、いわゆる「カースト」ごとに食べるものも変わる。
ヒンドゥー教だけでなく、ジャイナ教徒にはジャイナ教徒の、シク教徒にはシク教徒の、ムスリムにはムスリムの食べ物がある。
その閉ざされて、繊細な秩序の体系を曲げてまで、他の文化との一致を図るのは非常に難しいのだ。
ただ、シンガポール名物として、「フィッシュヘッドカレー」なるものがあることは知っていた。
華人が魚の頭を煮て食べているのを見たインド系住民が、カレーで同じことをやって売り出したのが初めてらしい。
だが、食に保守的なリトルインディアだ。
そんな料理を見つけるのは案外困難を極めた。
唯一発見したのは、ベンガル人地区にある食堂で、見た目はホーカーセンター風だが、会計も調理もひとつなので、ただの店だった。
「フィッシュヘッドカレーとライスをひとつ。それと水をお願いします」
と頼むと、ライスは一つだけか?ふたつか?それだけか?と店員が注文をとった。
チラリと見えたメニューの金額は25ドル。
やってしまった、と思った。
3000円近くする。
日本でだってそんな料理をあまり食べることはない。
この店はぼったくりなのだろうか、と何となく嫌な感覚になっていると、出てきたのは、ゆうに3人前はある大皿に巨大なフィッシュのヘッドがのった代物。
ライスが二つかどうか聞いていた意味がわかった。これは一人用の料理ではないのだ。
味は、ココナッツベースのカレーで、辛味も程よい。
カレーリーフと言われる香りづけの葉が入っているところを見ると、南インドがベースの料理なのだなとわかる。
魚の頭というのもいい。脂がよくのっているし、目玉までいただけるのはありがたい。
だが、いかんせん、値段に見合った量なのだ。
テーブルの横を通る人が、毎回「お前正気か」という目で見てくる。
そんな反応をされればされるほど、意地になるのが、ジャパニーズサムライの末裔である。
ふうふう言いながら、何とか食べ切った。
シンガポールという街
腹ごなしが必要だ。
私はキタとミナミを貫くサウスブリッジロードを南下し、宿に向かった。
猥雑なリトルインディアやアラブストリートを抜けると、急激に高層ビルの世界である。
しかも、いまだに建設が続いている。
歩きながら、この街について考えた。
人々は感じがよく、街の様相は地区によって激変する。
それでいて、危険な空気を感じることはあまりない。
金があってもなくても、比較的楽しむこともできる。
ひょっとすると、この街は巨大なテーマパーク国家なのではないか、と。
根拠がないわけではない。
オーチャードロードの入り口にツーリストコートという施設があり、そこでとある展示を見た。
シンガポールは、マラヤ連邦からの独立後すぐに、立法により、観光地化を進めたという。
純然たる交易の場だったシンガポールは、観光にも動いた。
おそらく、交易を除けば観光以外に道はないと踏んだのだろう。
交易にせよ、観光にせよ、世界中から人を迎え入れるところである。
シンガポールの人や土地が持つあの感じの良さはそこに起因しているのではないか。
しばらく歩くと、目の前にビル群が見える。
シンガポールのミナミである。
海沿いに道をそれ、マリーナベイに出た時、私は息を呑んだ。
マリーナベイサンズだけではない、シンガポールのミナミの高層ビル群が私を取り囲み、目の前には漆黒の海がある。
缶ビールを買い、飲みながら海を眺めた。
シンガポールはいい土地だった。
正直延泊してもいい。
今回はお尻はない。
だが、と。
まず、宿泊費が高い、というのは置いておくにしても、ここに長くいれば、居心地が良くなって、旅のスタートラインにすら立てないのではないか。
あらかじめ決めた二泊という予定で、あえてここを出るのは悪くない、いや、出なければならないのではないか。
私はマーライオンの足元まで歩き、一言、
「マーちゃん、また来るよ」
とだけ告げてその場をあとにした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?