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クアラルンプールの華人街を歩く

クアラルンプール③

クアラルンプール滞在3日目。
私はブキッビンタンから宿を華人街に移した。
ブキッビンタンの界隈は都会ではあるが、どうも面白みに欠けていた、というのが理由の一つだった。
面白みを書いた状態でこの街を出てしまいたくはなかった。

華人街へ

クアラルンプールの宿泊地といえば、自ずと、ブキッビンタンか、華人街か、中央駅前のリトルインディアのようだ。
すると、残りは二択だったが、なんとなく華人街を選んだ。

クアラルンプールは、Y字に流れる川によって東西北の区画に分かれる。
北側は下町的なエリア、西側は巨大な丘と公的施設の一方、繁華な地区は基本的に東側に集中している。

東側地区の北には小高い丘があり、その周辺は近代的な繁華街が広がる。ブキッビンタン(ビンタンの丘)やツインタワーの界隈だ。
目指す華人街は丘を南に下った平地にあり、北の繁華街とはまた趣が異なる。

華のペタリン通り商店街

華人街のメインストリートは華人街の中心を南北に走るペタリン通りだろう。
幅が広い通りではないが、アーケード商店街があり、賑やかな道だ。

アーケード商店街というと、日本のアーケードの中に整然と店が並ぶイメージが湧いてくるが、クアラルンプールともなればそんなシンプルなものではない。
商店街の中に、さらに露店が立ち並んでいるのだから、歩くのも大変な混沌だ。
売られているのは土産物、服、骨董品、スーツケースやバッグ類、貴金属らしきもの、果物、軽食…となんでもござれだ。

「ペタリン通り商店街」のすぐ西には「東門市場」という市場がある。
市場の中はそこまで目を引くようなものではない。
珍しいといえば、観光地らしく、時折タトゥーショップがあるくらいだ。

ペタリン通り商店街

野生のホーカー

市場の裏手に、即席で作られたような食堂街がある。
狭い路地に店や屋台が並び、プラスチックでできた椅子やテーブルが置いてある。
ひとけはそこそこ、活気もそこそこだが、そのワイルドな雰囲気と、暇になった店員がテーブルで食事を始めるラフな空気感に惹かれる。

シンガポール、マレーシアでは屋台(ホーカー)が集まってできたフードコート的なホーカーセンターを目にする。
ひょっとすると、この路上食堂街は最も原初的な形のホーカーセンターかもしれない。

歩いた時はちょうど夕食どきで、どうしようかなと眺めていたら、「肉骨茶」の看板を見つけてしまった。
肉骨茶(バクテー)は私の好物だったので、即決でテーブルに着いたのだが…肉骨茶特集の記事を書きたいので今回はここまでにしておこう。

東門市場の露店街

ペタリン通りの途中で東に抜ける小道がある。
その小道もまた食堂街であり、やはり中華料理が並ぶ。
小道の一角にホーカーセンターがあり、フィッシュボールの入った麺を売っていたので、ある朝、朝食に注文してみた。
フィッシュボール(魚丸)は香港や台湾でもよく見かける食べ物で、和風に言えばつくねだが、もっと魚感が強い。

香港や台湾のフィッシュボールは名前の通り丸いが、この店のものはスイートポテトのような形をしている。
味はしっかりしていて、魚も感じるし、何より小麦の麺と出汁の聞いた汁によくあっていた。

フィッシュボール麺

こういう食べ物を食べると、いわゆる「南洋」と呼ばれる、中国の南から東南アジアにかけてのつながりを感じる。
台湾や香港に花開く広東や福建の文化がここにも確かにあるのだ。

スルタン通りのホッケンミー

飲食店街の小道をまっすぐ進むと、古くからの大通りであるスルタン通りに辿り着く。
スルタン通りは華人街の東の端を南北に走り、途中でカーブを描いて右折、今度は華人街のど真ん中を東西に切り裂く、少し変わった通りである。

スルタン通りも飲食店街である。
ただ、屋台というよりは、店舗のある飲食店街で、観光客向けのものも多い。
外国人向けの宿などもあり、賑わいが絶えない。

そのうちの一つの店で、ホッケンミーこと福建麺を食べた。
以前日本のマレーシア料理店で食べたホッケンミーは濃い中華醤油ベースのソースを絡めた焼きうどんという雰囲気だったので、実物を試したかった。
だが、いざ、サーブされたものはやはり濃い中華醤油ベースのソースを絡めた焼きうどんだった。
てっきりうどんで代用しているのかと思いきや、食感もまたうどんである。

ホッケンミー

ひょっとして、弘法大師が伝えたといううどんの原点はこれなのでは無いか、と勘繰ってしまう。
といっても、平安時代のうどんは長い麺状ではなかったらしいのだけれど。

シンガポールのものは白くて海鮮と炒めていたが、食べそびれてしまった。
ホッケンミーは、福建の麺のことで、それ自体種類があるようなのだが、まだまだ奥深い世界があるのだろうか。

文化の坩堝

スルタン通りを南下して、道沿いに右折すれば、前述の通り、華人街のど真ん中を東西に突っ切ることになる。
川の方向へと西へ向かうこの通りは下り坂だ。
やはり、クアラルンプールは川と丘の街なのだ。

スルタン通りの坂の上には、ランドマークでもあるムルデカ118というタワーがある。まるで空が裂けているみたいだ。

ペタリン通り商店街と夜の露店街を横目に、まっすぐ歩く。
左手にはトゥン・H・S・リー通りという大きな通りがあり、インド寺院シュリ・マハ・マリアンマン寺院と中国寺院関帝廟が向かい合っている。

華人街に中国寺院があるのはなんの不思議もないが、インド寺院がデカデカとあるのは興味深い。
これはシンガポールでも同様なので、何か意味があるのだろうか。
華人街の方が成立が早く、インド系移民もそこに住んでいた、ただそれだけかもしれないが。

シュリ・マハ・マリアンマン寺院

関帝廟を覗くと、サリー姿のインド系の人が線香をあげていた。
彼女がインド系住民なのか、インド人観光客なのかは判断がつかなったが、もし住民だとしたら興味深い。
シンガポールでは華人がインドの寺院で祈っている姿をよく見かけたが、逆は見なかったから。

セントラルマーケット

丘を下り切って進むと、河岸に大きな建物が見える。
セントラルマーケット(パサル・スニ)だ。

セントラルマーケット

はじめ地図上で「セントラルマーケット」の名前を目にした時、私が想像したのは、雑然と肉や野菜、衣服が並んだ強烈にアジア的なマーケットだった。
だが実際のセントラルマーケットはもっと小綺麗な場所である。
並べられているのは基本的にお土産物ばかりで、少々お高めのマレー服(バティック)や骨董品、ポストカードの類やドライフルーツ、コーヒーなどの乾き物の食品が多かった。

生活のエネルギーを感じる、アジアのパワーを浴びる、といった場所とは程遠いし、金なし旅の私に優しくもない空間だったが、存外この場所は嫌いではなかった。
むしろ、華人街を歩いて、最後に立ち寄る、といったルーティーンまで形成されていたぐらいだ。

地元の人にも人気

何かを買ったわけでもなく、なぜ通っていたかというと、マーケットに並ぶ物品を見ていると、何がマレーシアらしい商品なのかがわかるからだ。
そして、それらの商品を「高く買うならいくらか」がわかるからだ。

例えば、バティックと呼ばれる伝統的なマレー服を見てみると、少なくとも100リンギッ(3,600円ほど)以上はする。
マラッカで見かけたバティックはこの6割くらいの値段だったから、ケチって買わなかったものの、かなり安かったと言える。
あるいは、下町チョウキットで見かけたバティック(かバティック風の服)もほとんど半額以下なので、やはり安いわけだ。

また、シンガポール、マラッカという華人の強い街を歩いてきて、あまり見かけなかった部類の商品を見るのも楽しい。
その最たる例が、木彫りの彫刻だ。
濃い色の木を掘り出し、像や食器の類を作っている。
これがマレー伝統のものなのか、雰囲気だけなのかはわからないのだが。

夜になると、セントラルマーケットの大通りではストリートミュージシャンの演奏が始まる。
曲調は大抵、少し古いロックで、マレー語の歌詞を歌い上げる。
ドラムやベースは打ち込みのことが多く、ギター一本の人が多い。
ストリートミュージシャンという存在は、閉塞した日常に風穴を開けてくれるような感じがなんとなくあって、見ていて気持ちがいい。

鬼仔巷の夜

スルタン通りを渡って南側のエリアに行くと、静かな雰囲気になる。
ショップハウス建築と呼ばれる古い華人の商店建築が並び、少し洒落た感じのカフェなども並ぶ。

奥まったところに、「鬼仔巷」と呼ばれる小道がある。
いわゆる裏道なのだが、ストリートアートや、古い橋の再現があり、赤い提灯が灯っている。
スピーカーからは古い中国の曲が流れている。
夜になると写真映えを求めて観光客が集まるフォトスポットだ。

この界隈は元は問屋街だったが、年々廃れ、治安の悪い街区だったらしい。
それを最近になって再開発し、古い問屋街の賑わいを再現した観光スポットに生まれ変わった。
それが良いことか、悪いことかは一概に語れないかもしれないが、雨の日の鬼仔巷は人も少なく、提灯の灯が水たまりに反射して幻影的な美しさがある。

鬼仔巷

クアラルンプールでは良い宿に恵まれず、4度ほど居場所を変えたのだが、最後の宿はこの鬼仔巷のあたりだった。
最後にしてついに見つけた面白い宿だったのだが…その話はまたいずれ。

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河内集平(Jam=Salami)
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