イポーの聖地
イポー②
錫鉱山の街であるイポーは、山のなかにある。
美食の街と言われる所以も山のお陰で水が美味しいからだそうだ。
採掘のせいか、そういう地形なのか、山には洞窟になっているところが多く、洞窟寺院も多いらしい。
街の周囲を街が取り囲んでいるだけでなく、街のど真ん中に山が聳え、公園になっている。
そして、その山にも、華人たちにとっての聖地である洞窟寺院、ペラトン寺院がある。
市バス
市内中心部から洞窟寺院までは、バスが出ている。
イポー駅の南にあるメダン・キッ(Medan Kidd)バスターミナルから、PTransitの35番かT31Aというバスが出ている。
メダン・キッは、たいていのバスなら停まるので、イポー周辺を回るなら記憶しておいてもいいところだ。
クアラルンプールと比べるといくらか小ぶりで、なんだか寂れているが、その分わかりやすい。
私はTransitの方には乗れず、T31Aの方に乗った。
本当に市民バスで、観光客など1人も見当たらない。
これから華人の聖地に行くのだが、不思議と運転手も乗客のほとんどもインドタミル系で、車内でも映画音楽が流れる。
とにかく、「ペラトンテンプル」に行くんだと運転手に念押しをし、席に着く。
道路
車窓からは地方都市らしいガソリンスタンドや住宅が見える。
だがしばらくすると、そそり立つ崖が目の前に現れる。
それこそ、今から行こうとしている洞窟寺院のある山である。
おそらく、丘というのが正しいのかもしれないが、その絶壁、その険しさはもはや山である。
バスは大きな幹線道路の途中で止まった。
運転手が寺院の方向を指差すので、目をやると、岩壁に中華風の寺が張り付いている。
山の上を見ると東家のようなものが見える。
小さい寺院だと残念だなと思っていたが、思っていたよりはるかに大きいようだ。
洞窟
寺院の敷地に入ると、まずは池があり、その雰囲気はむしろ日本のお寺のようだ。
街中は猫一色のマレーシアにおいては珍しく、境内を犬が歩き回っている。
一匹の犬が洞窟の中にある寺院にスタスタと歩いて行くので、私は後をついて行った。
洞窟寺院の中に入った瞬間、息を呑んだ。
まるで吹き抜けのような高さの洞窟に黄金の巨大な文殊菩薩像が鎮座している。
それを取り囲むように、洞窟の各壁面には様々な種類の菩薩や如来の像がある。
また、岩壁には天女や賢人の絵が描かれ、独特のエキゾチズムを湛えている。
外に人はあまりいなかったが、中には参拝客が幾人かおり、仏像の前に跪き、祈りを捧げている。その表情は真剣だ。
ここでは、人々の信仰がまさに生きているのだ。
山道
洞窟の奥の方に、上へと登る階段がある。
この階段は洞窟の天井にほど近い穴に続く。
穴を抜けると、山の表面に出る。
そこから山道が続き、我々好奇心ある旅人を頂へと誘う。
前を登る若々しい老人が、物珍しそうに風景を見たり、写真を撮ったりしている。
上からは降りてくる人もいて、前の老人はすれ違いざまに、「こっちであってる?」という風に英語で聞いている。
シンガポールの人だろうか、なんとなく、彼の地で出会った人と同じ空気感を感じる。
山の中腹で山道は二手に分かれる。片方の隘路をいくと、行き止まりである。
そこには絶壁があり、象に乗った黄金の女神が鎮座している。
逆方向には櫓があり、それを登ると、さらに厳しい山道に至る。
山道は急な階段が敷かれており、クアラルンプールのバトゥ洞窟の何倍もの猿がいる。
猿たちは下界の人間を眺めていて、近寄ると、さーっと山に隠れて行く。
ここはもはや人の領域ではなく、猿の住む山である。気温も少し涼しいように感じる。
猿を横目に絶壁の階段をよじ登る(よじ登るという表現が最も適切だと思う)。
そうすると、東屋がある。休憩用のようだが、先を急ごう、と、左に曲がって、細い道を上る。
すると櫓のような東屋が立っていて、そこが頂上の展望台である。
ふう、思いの外、山である。
微風
櫓を登ると涼しい風がふっと吹く。
見えるのはイポーの街。第三の都市だが、こうしてみると大きくはない。
それより目立つのは、この山を取り囲む山々だ。
洞窟の寺院の凄みもさることながら、この登山道はすごかった。
仏の満ちた洞窟から、自らの足で踏み出して、山を乗り越えて、最後には頂へと至る。
その頂には仏像の類は何もなく、ただ爽快で涼しい微風が頬を撫でるだけ。
それはなんだが、示唆的だった。
平安
山を降り、洞窟に戻ると、文殊菩薩のそばに、テーブルが並んでいることに気付いた。
参拝客がそこに座り、何かを飲んでいる。
近寄ってみると、尋常ではない大きさのやかんが置かれている。
そこには「平安茶」と書かれていて、参拝客が自由に飲んでいいようだ。
私はお茶を紙コップに注ぎ、席についた。
お茶は中国風の爽やかな口当たりで、山登りの後の身体に染み渡る。
ふと文殊菩薩に目をやると、穏やかな顔をしている。
それはまるで、「焦るな、心を整え、平安であれ」と語りかけるかのようだった。