シンガポールの猥雑さ
シンガポールのキタ①
シンガポールのニシ
大阪の臨海部を「ニシ」と呼ぶ向きがあるらしい。
伝統的なものではなく、万博開催に関わる思惑もありそうだから、長続きはしないように思う。
だが、シンガポールには、ニシも存在する。
シンガポールの伝統的な街区は島の南東に集中する。
それはひとえに、その場所に英国が港を建設したからである。
一方、島の中軸寄り、つまり、市街地からは西にあたる部分には、かつて果樹園があった。
かつて果樹園を貫いていた道は、今ではオーチャードロードと呼ばれ、高層の商業ビルが並んでいる。
大通りでは、クリスマスツリーの飾りのような丸いデコレーションが並木からぶら下がっていて、かつての果樹園の果樹を思わせる。
いわゆる新市街であり、ショッピングモールや映画館や両替所が点在しており、シンガポールで暮らす人と旅行者でかなり賑わっている。
大阪よりむしろ、東京の「ニシ」に位置する、新宿や渋谷のイメージだろうか。
高層ビルとは言っても、マリーナベイサンズやその周辺にあるオフィス用のものではなく、多くはモールのようなものだったりする。
モールといっても、日本の郊外にあるような新しいものばかりではない。
時々、20世紀半ばからありそうな、古い複合施設もあって趣深く面白い。
せっかくだから、と、私は「遠東購物中心」という名前の古めかしい施設に入ってみた。
両替商、骨董商、バーの類から、お手伝いの派遣会社まで、あらゆる店が軒を連ねていて、かなりカオティックだ。
中でも、高層階にはお手伝いの派遣会社が多く、シンガポールが南アジアや東南アジア諸国にとっての出稼ぎ先であるのが如実に見えてくる。
一方でモダンな商業施設はというと、日本のものとさしたる違いはない。
最上階にあるシネコンを覗いたが、上映中の映画もほとんど日本と同じである。
あるとすれば、ビル一つ一つがかなり個性的な見た目をしていることだろう。
シンガポールでは、個性的なビルを見ることが多く、建築や建設がおそらく、日本などよりも大きな商業的、あるいは象徴的な意味を持っているのかもしれない。
入り混じるブギス
オーチャードロードを抜けると、首相官邸であるイスタナが現れるが、鬱蒼とした公園に囲まれており、中身はわからない。
さらに道なりに進むと教会が並ぶ地区がある。
英国国教会だけでなく、カトリックやアルメニア正教会も含めた教会群である。
地図によるとそのあたりは、ブギスと呼ばれる地区の入り口にあたる。
教会とビルだらけのこの界隈は、そこまでエキサイティングなものには見えない。
だが、一歩脇道に逸れ、ウォータールーストリートを北東に進むと、様相は大きく変わる。
ウォータールーストリートの中腹にくると、二つの宗教施設が見えてくる。
一つは、ヒンドゥー教のもので、シュリ・クリシュナン寺院で、もう一つは中国仏教の観音堂だ。
この辺りに来るとストリートマーケットが広がっており、宗教用具の類が盛んに売られているのが見える。
黄金の仏像を並べた店、神に捧げるお札を売る店、あるいは何の意味もなく玩具を売る店…
だが、その何よりも、私が興味深く思ったのは、シュリ・クリシュナン寺院だった。
見た目は、何の変哲もない小さなヒンドゥー教寺院である。
もちろん、日本ではあまりヒンドゥー教寺院を見ることがないから、「何の変哲もない」というのは、いささか奇妙ではあるが。
通常、ヒンドゥー教寺院にはインド系の人々が集まる。
ところが、この寺院で祈るのは多くが華人だった。
作法もまた華人流で、線香に火をつけ、三度礼をする。
それを見越してか、寺院の前には線香が置かれている。
実は、華人街のヒンドゥー教寺院でも、同じような光景を見た。
そこにいるほとんどの人はインド系だったが、中には生粋の華人に見えるような人たちが、熱心にヒンドゥーの神々に祈りを捧げていた。
隣にある観音堂はほとんど中華系の人で占められており、インド系は見かけなかったし、いたとしても観光客で、参拝客ではない。
華人とインド系の間に考え方の差異があるのかもしれない。
華人にとっては、神は神で、それらを隔てる宗教の壁など存在しないのかもしれないし、インド系の人にとってはどの神に祈るかこそが重要なのかもしれない。
だがこれは、いずれせよ、華人が自身のやり方でヒンドゥーの神々に祈ることを、インド系の人たちもある程度許容しているからこそ成立している事態だとも言える。
そこには、「実践」が持つ、「理論」「教理」を容易に乗り越えてしまう力というか、断固とした何かがある。
観音堂のそばには大きな広場があり、広場に面して、二つの大きな「大厦」、つまり、商業複合施設がある。
そこには何から何まである。
服もあればマッサージ店もあり、宝石もあれば干物も薬もある。
通りには路上市場が立っていて、一カ月前に終わったはずの中秋節をダシに大売り出しをしていた。
このブギスの界隈は、より庶民的で、より猥雑かつエネルギッシュなチャイナタウンと言える。
それはどうやら昔から変わらないようで、戦中にシンガポールに滞在していた詩人の金子光晴も、ブギスにほど近いジャラン・ブサル通りを庶民の街だと形容していた。
喧騒の中のサンクチュアリ
ブギスの東側には、大きな市場があり、観光地化している。「ブギスストリート」という名前らしい。
だが売っている商品は、一歩脇道にそれれば、服やネイルなど、そこに生きる人のためのもので、決してただの観光地ではない。
ブギスストリートを抜け、大きな交差点を渡って北上すると、アラブストリートの地区に入る。
アラブ商人もまた、マレー世界に影響を与えた存在だ。
だが、正直なところ、あまり期待はしていなかった。
今は普通の街になっているのではないかと思っていた。
シンガポールのアラブ系住民というイメージがなかったのが大きな理由だ。
だが、アラブストリートに一歩踏み入れると、そこに陳列されている文物や食べ物がいかにアラブ的か見てとることができる。
通りには絨毯や織物屋、ランプ屋が並び、ブギスや華人街では見なかった顔立ちの人々が接客をしている。
レストランが提供するのはトルコにレバノン、シリアなどの中東の料理だ。
中東以外の場所で、この手のものが、ここまで1箇所に凝縮されているのを見たことがない。
歩きながら自然と、イスタンブルのことを思い出すほどだった。
街の真ん中には巨大な玉ねぎ頭のモスクがある。
スルタンモスクというらしいが、スルタン(王)の名に相応しい威容を誇る。
門が開いていたので、私は試しにモスクに入ってみることにした。
靴を脱ぎ、礼拝場に入ると、お祈りの時間ではないにもかかわらず、そこそこ人がいる。
絨毯の上に座って眺めていると、来る人来る人皆、作法に従い、祈りを捧げている。
まず、両手を耳元にあて、それから絨毯に轢かれたライン上に直立し、腕を組んで少し俯く。
両手を上げ、中腰で頭を下げる。
また両手を上げ、今度は地面に向かってひれ伏す。
起き上がるとしばらく何やら呟き、さらにもう一度地面に向かってひれ伏す。
一連の動作を四回ほど行い、座を解く。
そのシステマティックな動きは、一見すると複雑だが、一度覚えれば、自動的に体を動かすことができるように思える。
体を自動的に動かすことで、外的な、余計な考えは省かれていき、精神はむしろ深く集中してゆく。
ムスリムにとって、祈りとは神との対話だという話を聞いたことがあるが、それは、瞑想に近いのかもしれない。
マレーシア滞在中も、私は何ともモスクを訪れた。
時折腰を下ろし、考え事に耽った。
モスクは誰にも邪魔されない空間である。
ムスリムにとって、神との対話を行う空間である。
そこでは、都市の中にあって、常に静寂が支配している。
だからこそ、内面の声に耳を澄ますことができるのだ。
モスクは喧騒の中のサンクチュアリなのだ。
さて、モスクの前にはブッソラー通りという通りがある。
そこには飲食店や土産物屋が軒を連ねている。
椰子の木の並木が通りに面しており、撮影スポットになっている。
私はそんなブッソラー通りに面した店に入り、コピを飲んだ。
練乳とコーヒーを合わせた飲み物だ。
コーヒーはアラブを介して世界中に広がった。
そんな歴史に思いを馳せていた。(つづく)