行けるところまで…(台湾横断実況note#2)
行けるところまで行ってみよう。
人生で一度は言ってみたいセリフである。
台風の余波続く台湾では、言わざるを得ないセリフでもある。
いざ南へ
11時台北発台中行き自強号。
朝食にワンタン麺を一杯だけ食べて、本屋で少しだけ時間を潰してから、私はプラットフォームへと向かった。
晩11分。
晩とは遅延のことらしい。この漢字は根源的には「遅い」ことを指すのだろうか。
そんなことを考えているうちに列車はやってきた。
思ったより順調である。
台北から台湾中部の中心都市台中までは特急で2時間半かかる。
台北、台中、台南、台東とは、なかなかにわかりやすいというか、単純なネーミングだ。
はじめに統治機関が置かれた南の台南こそが本来は「台湾」だということを加味すれば、他の呼称がいかに後付けなのかがわかる。
列車が台中に近づくにつれ、地形は山がちになる。
なんの知識もなくきてしまったが、台中はどうやら山側の都市らしい。
雲行きもどんどん怪しくなる。
台風自体は中国大陸に抜けたのだが、派生して引き寄せられた雲が台湾中南部に豪雨をもたらしているらしい。
台北付近では明るかったグレーの空が、今や限りなく黒に近づく。
大都市・台中
台中駅に着いたのは13時半のことだった。
幸い雨は降っていない。
ツーリストインフォメーションセンターで地図を取り寄せ、ひとまず街の中心がありそうな区画へ行く。
腹ごなしもできるだろうという目算だ。
台中駅には都会の風格がある。
プラットフォームは光が取り入れられる設計でかなり広く、駅の外にはタワーも聳える。
道も広く、交通量も多い。
その一方で、残された旧駅舎を筆頭に、町中に日本統治時代から中華民国の時代までの古い建築が残されているのも事実である。
有名なのは宮原眼科という眼科があった建物だが、今ではカフェにリノベートされている。
それ以外も、古い建物が現在も利用されていて、非常に興味深い面構えの街だ。
などと、街を眺めているうちに、大雨が降り出した。
良い感じのご飯屋を見つけられていない。
早く食堂か何かを見つけねば。
店を探しながらしばらく歩いていると、この街にはかず多くのヴェトナムやインドネシアの店があるのがわかる。
移民を多く受け入れているのだろうか。
面白いが、今は台中の料理だ。
歩いていると大雨の最中でも賑わっている店を見つけた。
「伝」という店名も、台中伝統の味を彷彿とさせる。
私は早速店のおばちゃんに、目に入った「爌肉飯」を注文した。なんだかわからないが、後で調べたところ「肉の煮込み」という意味らしい。
45元。180円ほどである。あまりに安い。
注文の品は驚くべきスピードで提供された。
それもそのはず、一杯の茶碗に米と豚の塊肉、たくあんに似た漬物という至極シンプルな料理だったからだ。
肉の味付けは塩ベースで、台湾らしい八角などの要素は皆無だが、それがかえってうまい。
たくあんに似た漬物は、たくあんそのものだった。
本当は雨が止むまで待とうかと思っていたが、あまりに箸が進んでしまったため、すぐに店を出ることになった。
とはいえ、茶碗一杯と豚肉だけでは腹持ちが悪い。
一瞬、あえてこれで我慢しようかとも思ったのだが、どうも落ち着かない。
どこか無いかと見ていると、魯肉飯を出す店があった。
魯肉飯は日本でも名前が通り始めている台湾料理だろう。
角煮のような味付けの細切れ肉を米に乗せたものである。
台湾全土で食べられるものだが、なぜ魯肉飯を頼もうかと思ったかと言うと、次のような理屈になる。
魯肉飯は台湾北部と南部で作り方が異なる。
北の魯肉飯はそぼろを餡掛けにしたようなもので、南はもっと肉がごろっとしているらしい。
では、中部で食べたらどうなるか。
一度沸いた知多的好奇心を止めるのは難しい。
結論から言うと、肉はごろっと入っていて、八角などのスパイス要素が少ない。
あんかけの要素はなく、南のものに近いようだ。といっても、まだ南の魯肉飯を知らないのだが。
また、付け合わせできゅうりの浅漬けが載っている。
肉の脂に疲れた時、きゅうりが寄り添ってくれる。
ひょっとすると、台中は漬物文化なのかもしれない。
食べ終わった後、戦前から営業していると言う中央書局と言う書店へ向かった。
なんと言うことはない、雨がひどかったのだ。
書店はカフェや雑貨屋が併設されている。三階では何やら著者の講演会もやっていた。
南部では話者が多いと聞く台湾語の教本でも買おうかと思ったが、見当たらず、しばらく見て回った後、すぐに出た。
外の豪雨はいくらかマシになっていた。
もう少し散歩しようかと思ったが、急な連絡が入り、駅へ向かうことにした。
急な連絡というのは、台風の影響で予約していた台南のホテルが営業を取りやめたというものだった。
それでどうこうというほどやわではない。
問題は私がこんな台風直撃のタイミングで旅しているということなのだから。だが、宿をとったりしないといけない。
駅に戻ると、決断が幸いだったことを示すように、また土砂降りの雨になった。
私はひとまず南部の入り口、嘉義までの列車が生きていることを確認し、チケットを買った。
雨を待つ
猛烈な雨風の中、列車が来るのを待った。
しばらくして、プラットフォームに一台の列車が到着したが、見た目からして、乗ろうとしていた特急ではなさそうだ。
すると隣に座っていた若い女性が、何やら中国語で話しかけてきた。わからない、というと、この列車は嘉義行きの特急だろうかと聞く。
「違うと思う」と言うと、
「ありがとう。日本人?私は香港から来たの」と言った。
「そうか! 僕達はツイてないね、だってほら、台風だから」と答えた。
それからちょっとした歓談が始まった。
彼女は夏休みで二週間かけて台湾中南部を回っていて、次は台南に行くこと、八月には九州に来ること…
私が去年香港に行ったこと、今まで台北しか行ってないから南に行くことにしたこと、私も明日から台南に行くこと…
1時間ほどして、列車が到着した。台南でまた会おうと無責任な約束を交わし、それぞれの号車に乗り込んだ。
旅先での、偶然の上の出会い、偶然の上でしかなく、再会の保証されない出会いは面白いものだ。
きっと、もう会うこともないのだろう。
台中から嘉義までの道中は、凄まじい光景だった。
田畑は濁流に沈み、所によっては、道も冠水している。なかなかである。
豪雨の嘉義
18時ごろ、嘉義に到着すると、いきなりの大雨だった。
街自体は綺麗に違いないのだが、この土砂降りではどうにもできない。
どうにかこうにかホステルに入り、チェックインを済ませ、ドミトリーのベッドで雨が止むのをしばらく待った。
雨が止んだのは、19時半ごろである。
やっているかは不透明だが、文化路夜市というナイトマーケットへ向かう。
雨が止んでみると、古い建築やちょっとしたビルもある立派な街である。
嘉義は戦前の高校野球をテーマにした映画の舞台ともなったほど、野球が有名なようで、街の大きなロータリーには球児の像がある。
ロータリーを、駅を背に右に折れると、文化路がある。
夜市はやはり縮小気味だが、時折露天のようなものを出している店もある。台湾人のバイタリティには脱帽である。
本当は食事場所を探していたのだが、どこも開いていない。台風休暇と夜が遅いせいだろう。
仕方がないので、駅前で見かけた「火鶏肉飯」の店に行くことにした。
この料理を出す店は駅前に二軒もあったし、開いてはいなかったが文化路にもあった。
でかでかと「嘉義伝統」と書かれているから、きっと土地のものなのだろう。
駅前の店は両方ともやっていた。
私はそのうち、より古く、より面構えが良い店を選んだ。
鶏肉飯を頼むと、店主は卵焼きもつけようかと言う。
台湾は小吃文化といって、お椀いっぱいの食べ物をいくつも食べる。
その為、旅行者は変な頼み方をして、腹をすかせる。ちょうど台中の私のように。
だからこう言うサジェストはありがたい。
白米にほぐした鶏肉をのせ、上にでかい目玉焼き。オイスターソースのようなタレを、その上から醤油よろしくたらす。
見た目からして、もう旨そうである。
結果はもう、言うまでもない。
店を出ると、雨がまだ降っている。
どこかからか、電子音が聞こえ、ゴミ収集車がやってきた。
するとわらわらと住人たちがやってきて、ゴミを収集車に投げ込んでいる。
台湾では家の外やゴミ集積所にゴミを置いてはいけないのだろうか。
雨なのに大変だ。
などと思いながらホステルに戻った。
明日はまだ天気がいいと良いが。
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