【TEDトーク考察】人種差別は「嘘」から始まったというのは本当なのか
日本人や日本企業がグローバル社会で活躍するために知っておかなければならないことの一つに、人種差別がある。(と私は思っている。)
活躍というより、生き残るためにと言った方がいいかも知れない。
私は、海外生活の中で、これに気付くのに、というより、その存在を認めるのに、30年近く掛かってしまった。
薄々気付いてはいたけれど、認めたくなかったというのが正直なところ。
人種差別について、書くべきかどうかということを、今も迷っている。
例えば、小さな子どもに、誰とでも仲良くしなさいとか、ご近所で人に会ったら挨拶しなさいと教えつつ、知らない人に声を掛けられても無視しなさいと教えなければならないというパラドックスに似ている。
ニュージーランドは比較的安全な国だからとやってくる留学生や旅行者に、犯罪の危険性について忠告する時にも似ている。
日本とは違う景色や文化の中でいろんなことを体験したり、一生の宝物となるかも知れない現地の人たちとの素敵な出会いの可能性を狭めたくはないけれど、同時に、未然に防ぐことが出来る事故や犯罪があるなら、防ぎたい。
そんな感情に似ている。
事前に得た知識があれば、自分自身を責める必要のない人種差別という経験をした時に、自信を失ったり、必要以上に傷ついたりすることを防ぐことが出来るかも知れないとも思う。
なので、まず、人種差別が、どうやって誕生して、どうして延々と続いているのかを理解する為におすすめなTEDトークを紹介したいと思う。
日本語訳は(まだ)ないけれど、ジャーナリストでドキュメンタリー作家のジョン・ビーウェン(John Biewen)さんによる下記のトークがそれだ。
要点をかいつまんでいっぴき羊流にまとめると:
人種差別は数百年前に始まった人類の歴史の中では比較的新しいもの
ズラーラ(Gomes Eanes de Zurara)というポルトガルの作者が、ポルトガルの王に依頼されて1450年代に書いた年代記に、アフリカの人たちについて書いた嘘が人種差別の始まり
同じ人種(白人)間で雇う雇われるという関係から、それ以降、アフリカの人たちを奴隷として売買し、有色人種=奴隷として、白人に雇われる同等ではない人種、白人より劣る人種という概念を作り出した
ポルトガルから欧米へと黒人の人たちを奴隷とする奴隷貿易が広がった
といった経緯だ。
トークの中でも語られているが、人と人とのDNAは99.9%同じで、肌の色が違うということを根拠に、ある人種が他の人種より優れているということは事実とは異なる。
文化やその時々の生活水準で、人種グループ間に違いが出てくることはあっても、ある人種グループが、別の人種グループよりも恒久的に上、または下となることはありえない。同じ人種グループ内でも、特定の能力の高い人やそうでない人はいるし、これはあくまでも個人差で、人種差とはならない。
当時、アフリカの人たちの人権を無視して行った奴隷貿易で収益を得た人たちと、不当に連れてこられたアフリカの人たちを強制的に働かせることで、働く必要が無い状態を手に入れた人たちが、その特権を、形を変えつつ維持し続けてきたことが、今日の人種差別に繋がっている。
人種差別を経験したことのない日本人の人たちにとっては、他人事に思えるかもしれないが、アフリカの人たちを対象とした奴隷貿易が始まった約100年後に、日本からも、ポルトガルの奴隷貿易の対象として、海外に奴隷として連れていかれた方々がいるという記録がある。
1571年に、ポルトガル王のセバスティアン1世が、日本人や中国人の人たちを奴隷として売買することを禁止していなければ、今以上に、アジア人が、人種差別を受けていたかも知れない。アフリカの場合と違い、日本との関係を良好に保った方が「得」だとの判断がなされたのだと思う。一歩間違っていれば、アジア人=奴隷という概念が定着していたかもしれない。
私は、この記事の冒頭に、
日本人や日本企業がグローバル社会で活躍するために知っておかなければならないことの一つに、人種差別がある。(と私は思っている。)
活躍というより、生き残るためにと言った方がいいかも知れない。
と書いた。
理由は、根拠の無い「嘘」で、「他人や他社を利用して、自分や自社が不当な利益を得たり」、「他人や他社を、自分や自社より恒久的に下の立場に置く」という人種差別的手段は、目に見えない伝統として、意識的・無意識的に、本人が望む・望まないにかかわらず、グローバル社会で受け継がれているようだということを、私は、30年近く掛けて学んだからだ。
他の欧米の国々よりは人権を大切にしていると思うニュージーランドでさえ、Microaggression (マイクロアグレッション)として、人種差別は、日々の生活の中に、今も根強く残っている。
その存在を認めたくないからと、気づかない振りをしていると、徐々に、仕事の場等で、本来の能力を発揮できなくなっていく。
能力を発揮すればたたかれるけれど、特権を持っている人たちに、ポジションを譲り、言われたことに従い、目立たないようにしていれば、安泰だ。
日本の企業が世界で勝てないワケは、実は、その辺りにあるのではないかと、私は見ている。
Microaggressionは、subtle(日本語では微妙などと訳されるけれど、subtleはsubtleで、気づけないようなほんの些細なもの)で、指摘することも難しければ、データ化して対策を練ることも難しいと思う。
グローバル社会で人種差別に負けない為には、自分たちが正しいことをしている時には、自信を失わないようにすること、そして、人種差別をしてくる相手以外に味方を見つけること、さらに、長期的な解決に向けて、人種差別を受けている人たちの味方になる勇気を持つことだと思う。
この記事を読んだだけでは、何が言いたいのかさっぱり分からないとか、何が問題なのか全然見えて来ないという方の方が多いと思うけれど、一つ一つ参考になりそうな例を取り上げて、日本企業の強みを「見える化」出来ないか考えてみたい。
下記の本は、ご紹介したTEDトークの中にも出てくる、人種差別の起源や歴史について調べつくしたイブラム・X・ケンディ(Ibram X. Kendi)教授の著書。ちょっと長めですが、興味のある方は、読んでみて下さい。
上記の本とは違いますが、日本語訳が出版されている本もあるみたいです。