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Machine of the Eternityー黒い剣士と夜の月ー

3


「っは‥‥‥はあっ、くそっ」

顔右半分を染める血と、ほぼ無意識に逃げ続ける足は、どうやら止まることを知らないようだ。くそっ、袴が足に絡まって邪魔だし、髪は頬に張り付く。流れ出す汗もとめどない。

しかしそんなことを考えている余地などないというように足は動く。

怖いんだ。ただただ怖いんだ。

足がもつれ、ようやく止まったところで恐る恐る振り返ると、後ろにはなにもいない。もう追ってはこないみたいだ。

そこでようやく地面に座り、曇った天を仰いだ。段々と息が苦しくなる。

「なんで。なんで、僕達なんだ」

ぽつりぽつりと降り出した雨がゆっくりと僕を濡らしていった。


『私は、どんな過酷な世界でも、あなたがいれば充分なんだから』

失った右目が熱を持ち、心臓の鼓動に合わせ紅の涙を流している。それを止めることもできず意識は朦朧もうろうとしてきている。寒い。今、意識を失えばきっと彼女の所へ逝ける。そんな気がして僕はゆっくりと目を閉じた。

『約束よ。私とずーっと一緒に生きていこうね』

「っ!」

しかし、すぐに左目を見開いて唇をおもいきり噛んだ。

『‥‥‥お願い、い、生きて。―――だけで、も‥‥‥生きて』

そうだ。僕は死ねない。死んではいけないんだ。彼女の復讐をはたすまでは。

僕は右目があった窪くぼみに爪を立てた。震える指は恐怖でなく怒り。そして僕は右の血溜まりに思い切り指を沈めた。


ごりっ。


「っあぁぁぁあぁ――」

それは小さな悲鳴。

声を出す気力もなかった僕にしては大きすぎるほどの声だったかもしれない。その声を抑えることもできず、ただ荒い息と、心音だけが頭の中で響き続ける。再び引き戻された意識は痛みと戦っていた。

彼女の痛みはこんなんじゃなかったはずなんだ。


もっと、もっと深い痛みだったはずなんだ。


堪えなければ、堪えなければいけないんだ。


「っは‥‥‥はぁ。あ、あや‥‥‥め」


皮肉にもあやめの幻が僕の意識を奪っていった。


どうか。


どうか。


どうか、夢なら覚めてくれ。


        †                        


「お前何を‥‥」

俺が声を放つと、五羽ほどのカラスが泣き声を上げながら一斉に飛び立った。そこにはすでに声の主はいなかった。

鉄錆と、有毒ガスより強烈な死体の匂い。髪を頭皮から綺麗に剥がされ、目玉をえぐられた死体が七体。洋服が剥ぎ取られていなければ、性別が区別出来ないほどの酷さである。死体は仕事柄見慣れていたがここまで凄惨な光景は初めてだ。

「これは・・・・・」

俺は、シルドの仕事を思い出し、無心でシャッターを切った。これじゃぁ、倭わ民族みんぞくかどうかもわからないが。

シルドから預かっていたカメラのフイルムをすべてきらし、仕事を終わらせた俺は、死体を担いで帰ることはせず死体から採取した生暖かい血液のはいった小さな瓶とカメラをポケットに捩込み、洞窟の出口へと走った。


「なんだこれ?」

行きは警戒のあまり気づかなかった。それは出口から見える茂みに向ってなにかを引きずったような痕と、赤黒い砂の固まり。

「機械油(オイル)じゃないな。血液だ。足を引きずって走った跡か。まさか、生き残りが…。いや、そんな馬鹿な」

自問自答し俺は、エンジンとモーターのエネルギーを最大にし、走った。


その引きずったような跡は道無き道を通り、ジャンナイルとベルヘムの境界付近まで延びていた。

有毒の茂みを更に奥へと進んでいくと、再び血の道しるべがあった。その量は、先程とはくらべものにならないほど大量だった。

「生きてんのか?」

血の道しるべの先にいるであろう人にむけ、俺は疑問をぶつけた。

「ん?」

その疑問に返してくれたかのような絶妙なタイミングで俺は血溜まりの足を蹴った。

それは、右目から血を流し、漆黒の髪と青白い顔をその血で濡らした男だった。男は、その身に纏った不思議な服までも真っ赤に染めていた。右手も同色に彩られている。まさか、自分でくり抜いたとでもいうのか?しかし、肝心の眼球がない。瞼が閉じ切らず僅かに穴の開いた虚空の右目は吸い込まれるように奥が深い。そこを主流に、真っ赤な血液は海と化している。

これは、やばい。

「おい、しっかりしろ。おいっ」

返事はない。ほんの微かだが呼吸はしているがもはや虫の息である。ジャンナイルを抜けてこの状態であるだけで奇跡に近い。

「だめか」


しかし、肩を揺さ振ったその時、男の意識が俺を捕らえた。はっきりしたものではなかったが、かすかに目を開く。

「ぁ‥‥‥はっ」

「おい、大丈夫か?」

微かに聞こえた呼吸音と声がする鉄の匂いを放つ白顔に耳を傾けた。意識を取り戻してはいても相変わらず呼吸は今にも消えそうなほどゆっくりで浅い。

「め、ぁ、あや‥‥‥め」

それだけ言うと、男は再び意識を失った。

「あやめ?」


       †                        


死ぬ間際、あやめの笑顔と男の顔を同時に見た気がした。

あやめを殺し、僕の目玉をくり抜いた憎き男ではなかった。

太陽の光で鮮やかに煌めいた茶色い髪が揺れていたのが見えた気がする。

そして、僕に何か必死に呼び掛けていた。

あぁ。僕は見知らぬ男に見取られて逝ってしまうのだろうか。

いや、もしかしたらそいつは悪魔で、僕を陽気に歌でも歌いながら地獄へ連れて行こうとしているのかもしれない‥‥‥。


『―――。お願い、私の為に生きて』


僕をかばって逝ったあやめが、最後に残した言葉。

本当は庇ってなんて欲しくなかった。一緒に死にたかった。

あやめと生きる。それだけで充たされると思う僕を皆、愚かと思うかもしれない。でも、僕にとって彼女だけが、心を充たす唯一の女性(ヒト)だ。

でも、彼女は死んでしまった。もう、美しい笑顔も、美しい黒色の艶やかな髪も、夜を閉じ込めたような奥深い瞳でさえ見ることが出来ず、透き通るような舞唄も、笑う声も、僕の名を呼ぶ声も聞くことが出来ないのだ。


あの男のせいで‥‥‥。


『所詮、倭わ民族みんぞくは狩られるだけの愚かな家畜なんだよ』


胸糞悪い男の声に僕は腹腸が煮え繰り返る思いだった。

やはり、僕は死ねない。君に会えなくても構わない。あいつに復讐するまでは、僕は死ねない。

だからどうか悪魔よ、僕の命を持っていくのはもう少し先にしてくれ。

黒い髪を輝かせたあやめは悲しげに笑っていた。


ごめん。あやめ。


「っ‥‥‥」

左目を開けると、そこには見慣れない光景が広がっていた。

「大丈夫か?」

「ここは、地獄、なのか?」

目の前に現れた男は、目を丸くし、顔を歪めるように笑った。