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彩の国シェイクスピア・シリーズ『ジョン王』レビュー
蜷川幸雄が完結することなく逝ってしまった,「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の最後を飾る作品,『ジョン王』を見に埼玉会館へ。
本公演に先立ってレクチャーが企画されていて,そこに何気なく参加したら話の内容がとてもおもしろく,帰りにチケットを買ってしまった。
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で,何気なく自分が空いている日時でチケットを買っておいたらどうやらさいたま公演初日だったらしい。そのため会場についた時にはすでに周辺は独特の熱気があった。そうでなくとも,全日ほぼチケットは売り切れらしいが。
劇の感想
冒頭の入り方含め,見ていて驚かされる演出はいろいろあった。かといって,最後まで満足感たっぷりというわけでもない。
シェイクスピア作品らしく,対話,会話,あいさつ,独白などさまざまな話し言葉がバランスよく配置されていることの良さは言うまでもない。特に,本作品の注目ポイントのひとつである私生児フィリップ(小栗旬)による「私利私欲(commodity)」が続く独白部分はその語感を楽しみながら,彼の不平不満や決意を聞くことのできる重厚なシーンであった。
気になってしまったのは,ジョン王(吉田鋼太郎)の演技に定期的に挟み込まれるコミカルさ。ジョン王以外にもそういうものはあるのだが,演出が吉田鋼太郎自身ということもあってか,ジョン王のそれが圧倒的に多い。大衆向けにアレンジする中で笑いどころを多くする工夫だったのかもしれないが,しかしあれでは暗愚なジョン王というよりは,機知に富みギャグのわかる道化のように見えてしまった。これが,「暗愚なジョン王」という伝統的な,しかし十分に検証されているとは言い難いジョン王像への新たな解釈としてそうしているのならばまだわかる。
ロシアのウクライナ侵攻を受けて演出に変化があったという話があったが,ウクライナ危機とのつながりがよくわからなかった。いや,というよりはそれを安直につなげようとしすぎというべきか。
私生児フィリップの衣装が現代日本的なこと,ラストシーンで銃口が観客に向けられることなどは,私たち一般市民がいつでも戦争状態に巻き込まれてしまうことの喚起とも取れる。しかしそのような「警鐘」では安易すぎるし,『ジョン王』をわざわざ使ってやるほどのものでもない。
そうではなく,戦争状態や「英雄譚」では歴史に埋没してしまう名も無き一般市民の忘れ去られやすさ・尊さを可視化したものと見るのがよいのかもしれない。私生児の衣装がパーカーという非個性的なものであることや,舞台上に転がっている死体に登場人物たちが一瞥もくれないことなども,そう解釈すれば納得がいく。ほんらい「名も無き者」であるはずの私生児が「主人公」として大暴れしてしまうのが『ジョン王』なのだから。
そうであればこそ,先述したジョン王の機知に富むように見える部分がなおさら余分なのではないかと感じてしまう。王族でかつギャグもわかるというのでは,あまりにも歴史の「主人公」すぎる。
そういうわけで,総評としてはまずまずということになってしまう。もちろん,これからのさらなる細かい解釈は可能だが。実際,ここまで書いていてもまだうまく書ききれていない部分もあるし,もう一度見たい気持ちもある。
あとは細かいところに触れておけば,以下のようなもの。
舞台セットの使い方は工夫があって面白かった。門の開閉とプロジェクションマッピングだけでいろいろな見せ方ができている。
城門が閉められるときに人影が見えているのは,見えてしまっているのかそれとも敢えて見せているのかがわからない。黒子にしては見えすぎだし,城門係の兵にしては兵士然とした立ち居振る舞いではない。
小栗旬の舞台ははじめて見たが,ちゃんと舞台の演技もできるんだなーと勝手に感動した。声も通るし動きも映える。私生児のセリフ「おまえはその顔で年収500ポンドを手に入れたわけだ,もっともその顔を売るとなれば4ペンスがいいとこだ」(第一幕第一場)が,小栗旬のイケメンっぷりと掛けた皮肉の効いたセリフとして見ることができるのも,ありがちだが面白ポイント。
『仮面ライダーウィザード』で見ていた白石隼也もがんばっていた。いろいろと改善できる点もあるが,がんばっていた。