漂うゴーストアーキテクトの時代に
連さんの記事「雨のみちデザイン」を拝読し、こんな言葉を思い出した。
「死んでこそ、浮かぶ背もあれ、ノモンハン」
戦で対岸へ渡ろうとして亡くなった者達の背が水に浮かび、飛石のようにして対岸に橋がかかる情景が目に浮かぶ村上春樹氏のある小説に出てくる言葉だ。
私も、プロジェクトに関わることが多い一方で、メディアや雑誌で個人名が出ることは無い。(出せない)ことが多い。
建設コンサル時代にも、あるプロジェクトに対する企画をコンサル(私)がつくり、設計を建築事務所が行うという公共プロジェクトがあったが、実現手前で、建築家の個人名や作品として公表することはできない事になり、頓挫した。
ゴーストアーキテクトとして私の時代
最近の取り組みでは、個人名が出ないことで実現できなかった未来を迎えるよりも、個人名を無くしてでもプロジェクトとして実現できるなら、動ける仲間と動いてみる方がいいとでさえ思うようになった。
こうした取り組みを、恩師の藤村氏とのやりとりを通じて、ゴーストアーキテクトと名付ける事にした。
ゴースト(幽霊)は、表には見えてこないが漂うように存在しており、人の想像力の中で生き、必要に応じて現れ、心の拠り所として本人(運営者やプレーヤー)の支えになる。
やりたいなら態度で示す。
だが、それは理想形ではなく「やむを得ず」である。
行政では、個人の成果にならないことは、暗黙の了解みたいなところはある。
その特定の個人が居なければ、得られなかった成果があり、それが組織の成果として還元されるとすれば、①その成果を認めた組織の人間なら誰でもその特定の個人と同等レベル考えやスキルをもつ集団であるか、②その特定個人をサポートする体制があるのではないか。
実際には、①、②ともに今のところあまり実感がない。
と実体験と重なり理解が深まりまった。
連さんの最後の言葉、私も考えていきたいです。
"コレクティブインパクトが必要な時代。プロジェクトの語り方、その作法を改めて考えてみたい"
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