似たもの夫婦っているよね
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小説「異類婚姻譚」(本谷有希子)
六〇を過ぎたある日のことだ。朝、寝ぼけ眼で洗顔を終え、ふと鏡を見ると自分の顔が父親に似てきたことに気が付いた。
親子だから当たり前だろう、と言うなかれ。私は子供の頃からずっと父には似ていなかったのだ。死んだ人──父は亡くなって久しい──に対し、こんなことを言うのは気が引けるが生前の父とはあまり仲が良くなかったので、自分の顔が父に似てきたと認識したときは少なからずショックだった。
ちなみに私には兄がいるが、兄は父とよく似た顔をしていた。つまり、私だけが違う顔のはずだった。ところが最近は、その兄にも似てきたように思う。もちろん、三段論法的にはそうなって当然なわけだが、兄とは顔の造作が似てきたというより、ふとしたときの表情が似てきたように思うのだ。
都度、鏡で確認することはできないが何となく今この瞬間の自分の顔は、きっと兄がよくする、あの表情と同じなのだろうなと思うことがある。あまり気持ちの良いものではない。とはいえ、血のつながりがある以上、歳を取ってからであっても似てくるのは不思議ではないのかもしれない。
しかし世の中には夫婦(当然、血のつながりのないはず)であっても、顔のつくりがそっくりな夫婦がいる。通常「似たもの夫婦」と言う場合、ものの考え方や趣味嗜好などが似ているのを指すことが多いと思うが、顔そのものが似ている夫婦がたまにいる。
そうした夫婦を見て、
「あれは互いに似ているから惹かれ合ったのさ。つまりナルシスト同士なんだよ」
と、訳知り顔で指摘する人もいるし、
「いや、結婚して一緒にいる時間を重ねることで顔まで似てきたのさ」
と解説する人もいる。
私には前者に説得力があるように聞こえるが、この小説は後者の説を取る。ともに生活していれば、言動や仕草が似てくるというのはありそうなことだが、顔まで似てくるというのはどういうことなのか──。
それは、緊張感の喪失がもたらす同化した顔で、最後は蛇ボール(互いの尻尾を飲み込んでいく2匹の蛇)のように渾然一体となるのだ──と、この小説は言っている。